「ゾディアック事件」解体新書File09

Japenese

ゾディアックは実行犯か成りすましか?

ゾディアックが捜査情報を握る現職警察官であった場合、彼自身が現場で銃弾を放った実行犯であった可能性も理論上は排除できない。しかし、事件ごとの行動様式と手紙に記載された情報の不均衡を分析すると、その可能性は極めて低い。以下に各段階の検証を行う。

犯罪者が自らの犯行を証明し、社会や捜査機関に自己の存在を誇示しようとする場合、最も確実かつ迅速な手段は、現場から直接取得した被害者の遺留品や身体の一部などの物理的証拠を提示することである。銃器による襲撃事件においては、被害者の所持品(財布、身分証明書、腕時計、装飾品)や、流血が付着した着衣の切れ端などを持ち去り、手紙に同封して送付することが、最も反論の余地のない犯行証明となる。 1969年7月末から8月初頭にかけて送付された第1通目および第2通目の手紙において、ゾディアックは自身が犯人であることを証明するために多大な紙幅を費やした。

しかし、彼がそこに提示したのは、前述の通りすべて文字や数値によって記述された情報のみであった。被害者の遺留品や現場の物理的痕跡は、ただの一点も同封されていなかった。自らが真犯人であると主張し、手紙の掲載を新聞社に強要する場面において、この対応は行動科学的にきわめて不自然である。 もし彼が実際に現場で引き金を引いた実行犯であったならば、殺害の瞬間に被害者の衣服の一部を切り取る、あるいはポケットから身分証を抜き取る行為は数秒で完了する。現場で遺留品を獲得しておき、それを手紙に同封して送付すれば、警察当局や新聞社を即座に納得させることができたはずである。自らの手で物理的証拠を獲得していたならば、それを提示することが最も安全で確実に自らの要求を通す手段であった。 それにもかかわらず、ゾディアックが選択した方法は、警察内部の極秘文書に記載された高度な鑑定データを文章で書き連ねるという、極めて遠回りかつ不確定な手法であった。文章による情報の提示は、それがどれほど精緻であっても、情報漏洩や内部人間の狂言を疑われる余地を残す。

あえて最も効果の薄い「文字情報のみの提示」という手段に終始した理由は、彼が物理的証拠を提示したくなかったからではなく、最初から提示することが不可能な状況にあったからであると判断せざるを得ない。 後年のプレシディオ・ハイツ事件(第4の事件)においては、被害者の血の付いたシャツの切れ端が即座に手紙へ同封された。この事実は、ゾディアックという人物が「犯行証明のために物理的証拠を利用する価値」を十分に理解していたことを証明している。第4の事件で可能であった物理的証拠の提示が、第1および第2の事件において完全に行われなかったという事実は、両事件における犯行プロセスの根本的な違いを示している。第1・第2の事件段階におけるゾディアックの手元には、物理的証拠が存在しなかった。

第1通目および第2通目の手紙において物理的証拠が一切提示されなかった理由は、ゾディアックがこれらの事件の実行犯ではなく、現場に一度も足を踏み入れていなかったからである。現場に存在しなかった人間が、被害者の遺留品や血衣を所有することは物理的に不可能である。彼が所有していたのは現場の物質ではなく、警察署の資料室に格納されていた紙の捜査ファイルのみであった。手元に存在する唯一の武器が文字データであったからこそ、彼はそれを加工し、暗号を添えて送付するしか犯行を証明する道がなかった。物理的証拠の欠如は、彼が現場から離れた場所にいた警察内部の第三者であったことを示している。

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