1948年の亡霊:ソマートン・マン事件の再構築

Japenese

2022年7月26日(火曜日)謎の人物の身元が判明したというニュースが発表された。発表直後、オーストラリアのメディアだけでなく、BBCやニューヨーク・タイムズ、そして日本のメディアもこの世紀の解決をトップニュースで報じた。長年、謎に包まれた事件が解明されたと、誰もが色めき立った 。

それは、1948年に発見された死体の身元だった。デスマスクの石膏に残っていた髪の毛から採取されたDNAが、ほぼ完全な形で摘出することができた。髪の毛のDNAから、約80万カ所の遺伝的変異(SNP)を解析し、膨大なデータセットを作成。このデータを、一般の人々が家系を調べるために利用する「GEDmatch」や「FamilyTreeDNA」などのデータベースと照合し、データベースの中から、ソマートン・マンとDNAを共有している「遠い従兄弟(いとこ)」たちを発見した。

発見された親戚たちの家系図を過去へ遡り、共通の先祖を特定。そこから現代へと再び下りながら、1948年に失踪し、年齢や特徴が一致する「候補者」を絞り込んだ。約4,000人以上が含まれる巨大な家系図を構築し、ついに一人の人物に辿り着いた。それが、カール・ウェブであった。この事件は、「ソマートン・マン事件」「タマム・シュッド(Tamam Shud)事件」として知られ、多くが謎のまま残している未解決事件である。

オーストラリアのカーディアン紙の身元が特定されたという記事

Redditなどの未解決事件コミュニティでは、長年考察を続けてきた「ネット探偵」たちが、驚きと共に、ある種の喪失感に包まれた。「スパイであってほしかった」という願いが、一人の一般人の孤独な死という現実に書き換えられたからである。

  1. 科学は『誰か』を告げたが、『なぜ』を語っていない
  2. 第一幕『ソマートン・マン事件』
    1. 1948年12月1日:アデレードの静寂
    2. 司法解剖が暴いた「内面という名の惨状」
    3. 不可解な「毒」の存在
    4. 身体に刻まれた「二つの顔」
    5. 死へのカウントダウン:11月30日の足取りと目撃証言
    6. 11月30日午前:移動する男の影
    7. 夕暮れ時の静止:ビーチでの目撃
    8. 沈黙のスーツケース:残された生活の断片
    9. 隠された「終わりの言葉」と、届いた謎の詩集
    10. 執念の発見:二重構造の「隠しポケット」
    11. 「タマム・シュッド」:沈黙の告発
    12. 奇跡の「証拠」:ロナルド・フランシスの証言
    13. 背表紙に刻まれた「解読不能の暗号」
    14. 生きた証拠と「ジェスティン」の沈黙
    15. ビーチから400メートルの隣人
    16. 石膏マスク:沈黙を破る動揺
    17. ボクソール・パラドックス:用意された迷宮
    18. 鉄の意志で守り抜かれた秘密
    19. 2022年の解明――カール・ウェブという名の悲劇
    20. 熟練工とロマンチストの二面性
    21. 失踪の真実:執着の果てのアデレード
    22. 混迷を深める「平凡な真実」
    23. ピース1:穏やかな死に顔
    24. ピース2:蚊の謎
    25. ピース3:本当にバスに乗ったのか?
    26. ピース4:カール・ウェブはどこに居たのか?
    27. ピース5:なぜ、身元を分からなくしたのか?
    28. ピース6:隠しポケット
    29. ピース7:誰が茶色のスーツケースを預けたか?
    30. ピース8:なぜスーツケースを預けたのか?なぜ厚着をしていたのか?
    31. ピース9:冷戦の中のカウントダウン
    32. ピース10:危険な「理由」
    33. 理由1:同志
    34. 理由2:葛藤
    35. 理由3:選民意識
    36. ピース11:身代わりという器
      1. 検証:高い価値
      2. 検証:身代わりの理由
      3. 可能性1:機密書類
      4. 可能性2:機密情報
      5. 可能性3:二重スパイ
      6. 可能性4:彼自身が必要な場合
    37. ピース12:可能性ゼロの合致
  3. ピース13:「S氏」
      1. 価値:ロケット開発において非常に高い知識と経験をもっていること
      2. 協力性:ソ連に召還しても将来にわたり協力が見込まれること
      3. 難易度:今の段階で、自由の身であり誘拐が容易であること
      4. 敵の有無:ターゲットが厳重に監視されていない状態であること
    1. ピース14:温度差
    2. ピース15:カール・ウェブ
      1. 条件1:服のサイズに適合する体格
      2. 条件2:行方不明者
      3. 条件3:すぐに調達できること
  4. 「冷戦」という名の巨大なジグゾーパズル
    1. 砂浜に遺された「偽りの署名」
  5. 第二幕『タマム・シュッド事件』
    1. 沈黙を破る指先:ミリ単位の隠しポケット
    2. 終焉の言霊:切り取られた最後の一節
    3. 仕立てられた秘密:密着するスパイの鎧
      1. 考察1:隠しポケット
      2. 考察2:経歴
      3. 考察3:動機
      4. 考察4:紙片
    4. 届けられた証拠
      1. 疑問1:なぜ「ルバイヤート」とわかったのか?
      2. 疑問2:なぜ捨てなかったのか?
      3. 疑問3:なぜ届けたのか?
      4. 意味1:暗号
      5. 意味2:二つの電話番号
    5. 最後の謎:MGBはなぜジェシカの電話番号を警察にしらせたか?
      1. 工作員たちが受けた凄まじいプレッシャー「失敗」の定義が「裏切り」へ
      2. 「絶対的忠誠」の証明としての過激化
      3. 時間という名の処刑人
      4. タマム・シェッド(終わった)
    6. 重要参考人:ジェシカ・トンプソン
      1. 女の条件1:美人
      2. 女の条件2:既婚者もしくは男と同居中
      3. 女の条件3:ソマートン・ビーチの近くに住んでいること
      4. 女の条件4:事件とMGBに関わりがない
    7. むしろ、無関係な人間ほど完璧な演者になる
    8. 砂浜に遺された、二つの絶望
    9. 「タマム・シュッド」が暴いたもの
    10. 歴史という名の「影の海」
    11. 「真実は影の海の中に」

科学は『誰か』を告げたが、『なぜ』を語っていない

2022年、DNA鑑定という現代の光が、70年以上の沈黙を破り「カール・ウェブ」という名を導き出しました。しかし、科学的な身元の特定が、必ずしも事件の全貌を解明するわけではありません。衣服のラベル、隠しポケット、そしてアメリカ製の遺留品……。当時の捜査記録に残された「不自然な記号」たちは、依然として沈黙を保ったままです。

本書は、残された膨大な公的記録と当時の国際情勢をチェス盤に見立て、「もし、あの場に第三の意志が介在していたとしたら?」という仮説に基づいた歴史的再構築(ヒストリカル・リコンストラクション)の試みです。顕在化している事実を丹念に結んだとき、そこに現れるのは美しいストーリーのはずです。これは一つの知的探求の記録なのです。

第一幕『ソマートン・マン事件』

1948年12月1日:アデレードの静寂

午前6時30分。南半球のオーストラリアは、初夏の気配に包まれていた。南オーストラリア州アデレードの南西に位置するソマートン・ビーチで、一人の男の遺体が発見された。遺体となって発見されたその男は、完璧なまでに「謎」そのものだった。

男は防波堤に頭を預け、足を伸ばして交差させた状態で横たわっていた。苦悶の表情や争った形跡は一切なく、極めて穏やかな顔で死んでいた。服装は、非常に清潔で整った身なりをしており、コートやスラックスに激しい汚れや乱れはなかった。一見すると「ただ眠っているだけ」のように見えた。

男性の年齢は40代から50代、身長は約180cm。非常に体格が良く、肩幅が広く、ウエストは細く引き締まっていた。

服装は、白いシャツにネクタイ、茶色のニット、グレーのズボン、そしてダブルのコートを着用。靴は磨き上げられ、季節外れに厚着ではあったが、非常に清潔感のある身なり。

遺体のポケットには、アデレード発の鉄道切符、バスの乗車券、アメリカ製のガム、そしてアメリカ製の煙草(パッケージはイギリスのブランドのもの)が入っていた。しかし、財布や身分証明書、現金は一切存在しなかった。

最も不可解だったのは、彼の衣服のすべてのラベルが、刃物のようなもので丁寧に切り取られていたことである。自分が何者であるかの手がかりを徹底的に排除しようとした「意志」の現れであった。

司法解剖が暴いた「内面という名の惨状」

外見の穏やかさとは裏腹に、男の肉体の内部は全く別の様相を呈していた。法医解剖医のジョン・ドワイヤー博士によって行われた検視の結果、その外見とは裏腹に、体の内部は全く違っていた。

博士が目撃した解剖記録は、凄惨を極めるものであった。

検死の結果は次のとおりである。胃の中にはかなりの量の血液が混じっていた。粘膜は「レンガ色」と表現されるほど激しく充血しており、出血性胃炎の呈していた。また、小腸の下部(十二指腸周辺)にも同様の充血が見られた。しかし、特筆すべきは、彼が最後に摂取した食事が「パスティ(英国風のミートパイ)」であったことである。死の約3〜4時間前に食べたと推測されているが、このパスティ自体からは毒物は検出されなかった。

次に脾臓(ひぞう)であるが、通常の約3倍の大きさにまで肥大しており、非常に柔らかく(「ドロドロの状態」と表現されている)、うっ血。肝臓と腎臓は、これらもまた、極度の充血状態。脳の表面の血管も異常にうっ血していた。肝臓、腎臓、そして脳の表面に至るまで、あらゆる臓器が異常な充血状態にあったのである 。

ドワイヤー博士は、これらの所見から「心不全」を直接の死因としつつも、その背後には毒物による急死があると確信していた。しかし、当時の毒物検査の技術レベルでは、ヒ素やストリキニーネといった一般的な毒物でも、一切検出できなかった。

この事件を「スパイの暗殺」という文脈で語らせる最大の要因は、「これほどの内臓疾患を引き起こしながら、何も検出されない」という事実にある。

不可解な「毒」の存在

当時の法医学界では、以下のような仮説が検討された。

ジギタリス(強心剤)の過剰摂取による死亡。大量のジキタリスは心臓に作用し、急速に死に至らしめる。しかし、当時の技術では死後の検出が極めて困難である。また、ウアバイン(矢毒の一種)という毒は、 アフリカの狩猟などで使われる毒であり、摂取後に極めて速やかに代謝・分解されるため、痕跡が残らない。これらの可能性もあるのだった。

もし彼が「検出困難な毒物」によって殺害されたのだとしたら、それは個人の犯行ではなく、高度な医学知識と特殊な毒物を入手できる組織、すなわち情報機関による工作である可能性が浮上する。

更に、彼の遺体のそばに嘔吐物がなかったことも謎を深めた。胃にこれほどの出血があれば、通常は激しい嘔吐を伴うはずである。

この事件が70年以上にわたり世界で最も不可解な未解決事件と称されてきた理由は、単に身元が不明だったからではなく、むしろ、残された肉体があまりにも「不自然なほど健康的でありながら、不可解な死を遂げていた」という矛盾に満ちていたからである。

次に、彼(以後、ソマートン・マンと呼ぶ)の身元に繋がる身体の特徴について、詳しく見てみよう。

身体に刻まれた「二つの顔」

ソマートン・マンのふくらはぎの筋肉は非常に発達しており、高い位置で引き締まっていた。また、足の爪は奇妙な形に整えられており、つま先は尖った靴を長期間履き続けていたかのような形状(外反母趾に近い状態)を呈していた。

この特徴から、当時の捜査官や法医学者の間では、「彼はプロのバレエダンサー、あるいは日常的に爪先立ちをするような特殊な訓練を受けていたのではないか」という仮説が主流をなしていた。

身元特定において極めて重要となったのが、以下の2点である。耳の上部のくぼみ(耳舟)が下部よりも大きいという、人口の約1〜2%にしか見られない珍しい形状をしていること。

もう一つは、歯並びが、先天的に側切歯(前歯の隣の歯)が欠損しており、犬歯が前歯のすぐ隣に位置している。これも極めて珍しい遺伝的特徴であった。これらの特徴は、後に2022年のDNA鑑定によってカール・ウェブという人物に辿り着くための、決定的な物理的証拠となったのである。

ソマートン・マンの外見は鍛えられた肉体、手入れされた爪、高価な衣服。内面は対象的に出血した胃、巨大化した脾臓、うっ血した臓器という惨状、そして、乱れのない姿勢、火のついていないタバコ、タグのない衣服という静寂が、一つの死体の中に同居していた。

当時はスパイの暗躍を象徴する「冷戦の死体」として見られていた。

死へのカウントダウン:11月30日の足取りと目撃証言

ソマートン・マン事件がこれほどまでに長く人々の想像力を刺激し続ける最大の理由は、彼が「死体」として発見される数時間前、あるいは十数時間前の足取りが、複数の目撃証言によって「生きた人間」として、しかし「不気味なほど静止した存在」として記録されている点にある。

1948年11月30日。あの日、ソマートン・ビーチの夕闇の中で人々は何を見たのか。そして、その目撃情報は後にどのように解釈されたのか。当時の捜査資料と目撃者たちの生々しい証言を基に、彼が死に至るまでの「空白の数時間」を再現する。

数少ない遺留品から、ソマートン・マンがビーチに現れる前の「移動」からはじめることにする。

遺体のポケットから発見された切符と、バスの半券、後に見つかるアデレード駅の手荷物預かり所の記録から、彼の11月30日の午前中の動きが浮き彫りにできる。

11月30日午前:移動する男の影

10時50分〜11時00分。アデレード鉄道駅に、後にソマートン・マンとなる男が現れた。彼はここで、10時50分発のヘンリー・ビーチ行きの切符を購入したが、なぜかその列車には乗車することはなかった。

11時00分過ぎ、彼は駅の手荷物預かり所茶色のスーツケースを預けた。この時の彼の様子について、駅の係員は後に「ごく普通の、身なりの整った男だった」と回想している。

11時15分、彼は駅前のバス停から、ソマートン・ビーチ方面(グレネルグ行き)のバスに乗車した。

12時00分過ぎ、ビーチ近くのバス停に下車した。

この「列車をあえて見送り、バスを選んだ」という行動は、彼が特定の目的地、あるいは「特定の誰か」を避けていた、あるいは探していた可能性を示唆している。そしてここから、彼の足取りはビーチの目撃情報へと繋がる。

夕暮れ時の静止:ビーチでの目撃

11月30日の夕暮れ時、ソマートン・ビーチは散歩や涼みを楽しむ人々で賑わっていた。そこで最初の重要な目撃がなされた。19時00分頃、地元の宝石商であるジョン・ライオンズ氏とその妻が、海岸沿いを散歩していた。彼らは、防波堤(シーウォール)に頭を預け、砂の上に足を伸ばして座っている男を目撃した。男は非常にリラックスしているように見え、海を眺めている格好をしていた。

ライオンズ氏が彼を眺めていたとき、男は右腕を上に伸ばし、そのまま力なく下に落とすような動作をした。ライオンズ氏はこれを見て、「タバコを吸おうとして諦めたか、単に眠気を催している酔っ払いだろう」と考え、特に声をかけることはしなかった。

この「腕を上げた」という目撃情報は、検視において「彼は19時の時点では確実に生存していた」という医学的根拠となった。ライオンズ夫妻が去った後、別の若いカップルが彼のそばを通りかかった。この証言は、事件に「不気味さ」を付け加えた。

19時30分から20時00分の間、ある若いカップルが男のすぐ近くに立ち止まり、男を「酔っ払い」だと思い、少しからかうような気持ちで眺めていたと語っている。男は先ほどのライオンズ氏の目撃時と同じ姿勢で、全く動かずに横たわった格好だ。

女性の方は、男の顔の周りに蚊が群がっていることに気づいた。通常、生きている人間であれば、顔に蚊が止まれば手で払うか、顔を背けるはずである。しかし、男は全く動かなかった。連れの男性は、「酔っ払って死んだように眠っているんだろう。蚊に刺されても気づかないくらいにね」と冗談を言い、二人はその場を立ち去った。

この目撃により、男は午後8時の時点で既に「意識を失っていた」か、あるいは「既に死に至っていた」可能性が浮上したのである。しかし、この20時以降から、発見される朝6時30分まで、全く目撃情報はなかった。この空白の約10時間、彼は本当にそこに居たのか?居ないという目撃情報も無いので、それは誰にもわからない事である。

沈黙のスーツケース:残された生活の断片

遺体発見から約1ヶ月半が経過した1949年1月14日。南オーストラリア州警察は、身元不明の男がアデレードに外部からやってきた可能性を考慮し、主要な交通拠点であるアデレード駅の遺失物取扱所や手荷物預かり所を徹底的に調査した。その結果、11月30日の11時頃に預けられ、そのまま引き取り手のないまま放置されていた、「茶色のスーツケース」が浮上した。

スーツケースの中には、ドライバー、鋭く研がれたナイフ、ハサミ、裁縫道具、オレンジ色の亜麻糸のカード(糸巻き)、亜鉛板、ステンシル用のブラシ、封筒、便箋(ただし未使用)そして身だしなみ用の品々と、パジャマと部屋着、スリッパが入っていた。一般的な旅行者にしては少し特殊な道具類だった。

最も奇妙なのは、スーツケースの中に収められていた予備の衣類からも、すべてのメーカーラベルやネームタグが、鋭利な刃物で丁寧に切り取られていたことである。その中で3点だけ名前が書いてあるのを認めた。

  • ネクタイに「T. Keane」
  • ランドリーバッグに「Keane」
  • 肌着に「Keane」

1949年1月14日、アデレード駅の遺失物取扱所で発見された茶色のスーツケースには、彼の「生活」の断片が詰め込まれていた。

スーツケースが駅に預けられたのは11時頃である。男の遺体のポケットからは、「アデレードからヘンリー・ビーチ行きの鉄道切符」と、「市街地からソマートン付近へ向かうバスの乗車券」が見つかっている。つまり、「駅に到着して荷物を預け、身軽になってからビーチ方面へ向かった」という男の最期の足取りが、このスーツケースの預け入れ記録によって補完された。

当時の捜査当局は、この名前に飛びついた。オーストラリア全土で「T. Keane」という名の行方不明者を捜索したが、該当者は一人も現れなかった。この名前は解決の糸口になるどころか、捜査をさらなる迷宮へと誘う巧妙な「罠」あるいは「行き止まり」として機能することとなったのである 。

隠された「終わりの言葉」と、届いた謎の詩集

捜査が完全な膠着状態に陥り、遺体の腐敗を避けるための防腐処理(エンバーミング)が施された後、当局はさらに深い調査をアデレード大学の病理学教授のジョン・バートン・クレランド博士に調査を依頼した。当初、遺体が着用していた衣服はアデレード警察によって丹念に調べられたが、通常のポケットからは鉄道の切符や煙草、ガムなどが見つかったものの、身元を示すものは発見できていない。

教授は「まだ何か見落としがあるはずだ」と確信し、遺体の衣服を文字通り「ミリ単位」で再点検した。その執念が、ズボンの腰回りに隠された、あまりにも巧妙な仕掛けを暴き出したのである。この歴史的な「隠しポケット」が発見されたのは、遺体が発見されてから約4ヶ月が経過した1949年4月19日のことだった。

執念の発見:二重構造の「隠しポケット」

隠しポケットは、ズボンの前面、ウエストバンドのすぐ下にある「時計用ポケット(フォブ・ポケット)」の内側に、さらに隠すようにして作られていた。通常のポケットの裏地に、小さな切れ込みを入れ、その奥に作られた二次的なスペース。それは、外側からはもちろん、通常の検視でポケットに手を入れた程度では決して気づくことのできない、極めて特殊な構造であった。既製品のズボンに元から備わっているものではなく、所有者が意図的に改造して作った、あるいは非常に特殊な仕立てによるものと推測された。

驚くべきことに、ポケットの裏地を補修していた糸が、茶色のスーツケースに入っていたオレンジ色の亜麻糸と全く同一のものであることが顕微鏡鑑定によって証明された。その亜麻糸は、当時オーストラリアでは入手困難だったイギリス製の「バーバー社製のワックス加工された強靭な糸」であった。この糸は、通常、靴の製造や革製品の縫製、あるいは重帆布(パラシュートやテントなど)の修理に使用されるものであり、一般的な家庭の裁縫箱にあるようなものではない。

また、この補修は非常に丁寧に行われており、彼自身が裁縫の技術を持っていたか、あるいは彼をサポートする極めて身近な人物が、特定の目的のために修理したことを強く示唆していた。捜査官たちは「重機や特殊な装備を扱うスパイ活動」との関連を疑った。この一致は、荷物の所有者と遺体が同一人物であることを示す決定的な物理的リンクである。

「タマム・シュッド」:沈黙の告発

クレランド博士がその隠しポケットの隙間に指を滑り込ませ、引きずり出したのは、小さく、そして固く丸められた一片の紙切れであった。

取り出され、ピンセットで慎重に広げられたその紙片には、当時の捜査官たちを戦慄させる言葉が印字されていた。

「Tamam Shud」(タマム・シュッド)

特徴的な装飾文字(ブラックレターや古い活版印刷に近い書体)で印字され、紙は非常に薄く、良質な紙が使われていた。重要なのは、これが「メモ書き」ではなく、この紙片は、わざわざ文字の周囲を丁寧に切り抜いたものであることが見て取れた。

紙片の裏側には何も書かれておらず、本の一番最後のページに、しるされた言葉だった。

警察が言語学者や図書館員に照会した結果、この言葉は古典ペルシャ語で「終わった」「済んだ」「完結した」という意味であることが判明した。これは、11世紀から12世紀にかけてのペルシャの詩人、オマル・ハイヤームの詩集である『ルバイヤート』の最後の一節に必ず記される定型句であった。この発見は、単なる身元不明遺体の捜索だった事件を、世界中が注目する前代未聞のミステリーへと変貌させた決定的な転換点になった。

奇跡の「証拠」:ロナルド・フランシスの証言

しかし、驚くべきことに、この事件は更に劇的な展開へと向かうことになるのである。

遺体発見から約7ヶ月後の1949年7月、警察は南オーストラリア州全土に対して、この「タマム・シュッド」が切り取られた『ルバイヤート』を持っていないか」と地元の新聞『アドバタイザー』紙に異例の呼びかけを行った。新聞には、切り取られた紙片の特徴的な書体や、それが本の最後の一節であることが詳細に記された。

この記事を読んだロナルド・フランシス氏(仮名)は、ダッシュボードに放り込んでいたあの本のことを思い出した。彼は車へ向かい、本を取り出して最後のページを確認してみた。

そこには、まさに新聞に掲載されていたものと同じ「タマム・シュッド」という言葉が、鋭利な刃物で切り取られた跡が残っていたのだ。1949年7月22日、彼はその本をアデレード警察署に届けた。フランシス氏が届けた本は、一見すると何の変哲もない詩集だが、専門家が調べると非常に特異なものであることが分かった。出版元は、ニュージーランドのウィットコム・アンド・トムズ社製で、『ルバイヤート』を数多く出版していたが、フランシス氏が届けたエディションは、オーストラリア国内ではほとんど流通していない極めて珍しいものであった。

警察の科学捜査官は、遺体のポケットから見つかった紙片と、フランシス氏が届けた本の切り取り跡を顕微鏡で照合した。その結果、紙の繊維の断面、紙質、そしてインクの浸透具合が完全に一致した。

これにより、死んだ男(カール・ウェブ)が持っていた紙片は、間違いなくフランシス氏の車に投げ込まれたこの本から切り取られたものであることが証明されたのである。

フランシス氏がいつ、どこで、どのようにしてその本を拾い、なぜ警察に届けるに至ったのか。物語は、遺体が発見される前夜、1948年11月30日の夜に遡る。フランシス氏は、その夜、アデレードのソマートン・ビーチに近いジェッティ・ロードに自分の車を停めていた。彼はビジネスのためにその場所を訪れており、車を施錠せずに数時間ほど離れた。彼が車に戻ったとき、後部座席の床に、一冊の小さな本が落ちていることに気づいた。

彼は「誰かが間違えて投げ込んだのか、あるいは以前からそこにあったのを忘れていたのだろう」程度にしか考えず、ダッシュボードの小物入れに放り込み、そのまま数ヶ月間、その存在を忘れて過ごした

警察の記録では、彼のプライバシーを守るために本名は伏せられ続けた。当時のオーストラリアは冷戦のただ中にあり、この事件にスパイの影が疑われ始めたため、フランシス氏は「報復」や「不必要な世間の注目」を極端に恐れた。彼はごく普通のビジネスマンであり、自分や家族がこのような奇怪な事件に巻き込まれることを強く拒んだ結果であった。

2000年代以降、調査員たちは当時の警察の台帳や車両登録記録を遡り、フランシス氏の正体を特定しようと試みたが、見つけることはできなかった。しかし、彼自身が事件に積極的に関与した形跡はなく、あくまで「不運にもミステリーの断片を拾ってしまった一般市民」として扱われている。

ロナルド・フランシス(仮名)という人物は、ソマートン・マン事件における「最も重要な通行人」になった。彼が、もしあの日、車の中に落ちていた本を「誰かの忘れ物か」と思って海に投げ捨てていたら。あるいは、ダッシュボードに置いたまま車を買い替えていたら。2022年のDNA鑑定に至るまでの、あの膨大な知的探求の歴史は存在しなかったといえる。

背表紙に刻まれた「解読不能の暗号」

フランシス氏自身は気づかなかったが、「二つの決定的な手がかり」が発見された。

警察に届けられた『ルバイヤート』の裏表紙には、鉛筆で微かに、しかし断固とした筆致で以下の5行が記されていた。

MRGOABABD

MTBIMPANETP

MLIABOAIAQC

ITTMTSAMSTGAB

フランシス氏が本を放置していた間、誰もその本に触れていなかったことから、この暗号は「本が車に投げ込まれる前」に、既に書かれていたものと断定された。非常に薄い鉛筆(または芯の硬い鉛筆)で書かれており、一部の文字は判読が困難なほどだった。警察は赤外線写真や特殊な照明を用いて、これらの文字を浮き彫りにした。

2行目が横線で抹消され、その下に4行目としてほぼ同じ(あるいは全く同じ)文字列が書き直されている点は、この記述が「単なる落書き」ではなく、「正確に伝えなければならない、あるいは記録しなければならない特定の情報」であったことを物語っていた。

筆跡鑑定によれば、文字の書き方は非常に特徴的であり、大文字のみで構成されていた。この筆致は、当時「ヨーロッパ式の教育を受けた人物」のものである可能性が高いと指摘された。

この文字列が公表されると、南オーストラリア州警察だけでは手に負えないことが明らかになり、オーストラリア海軍の情報局に解読が依頼された。海軍の暗号解読官たちは、まずこれが「頻度分析(文字の出現回数から元の言語を推測する手法)」が可能かどうかを調べた。しかし、以下の理由により従来の解読手法はことごとく打ち破られた。

わずか50文字程度の文字列では、統計的な分析を行うには短すぎた。サンプル数が圧倒的に不足していたのだ。もしこれが、ある特定の本の特定のページをキー(鍵)とした一回性暗号であった場合、その「鍵」となる本が特定できない限り、現代のスーパーコンピュータをもってしても解読は不可能である。解読官たちは、「これは暗号ではなく、ある文章の単語の頭文字を並べただけのメモではないか」という仮説に辿り着いた。

海軍当局の最終報告書には、こう記されいる。「この文字列は既知のいかなる軍事暗号の体系にも属さない。しかし、それが単なる無意味な文字の羅列であるとは考えにくい。何らかの個人的な、あるいは非常に高度な秘匿を意図した記述であることは間違いない。」

解読班はそう結論づけ、匙を投げた。この「解けない暗号」こそが、ソマートン・マンがただの一般人ではなく、高度な教育と訓練を受けた「影の住人」であったことを、今もなお沈黙のうちに主張し続けているのである。

生きた証拠と「ジェスティン」の沈黙

『ルバイヤート』の裏表紙の暗号の下に、非常に薄い鉛筆の跡で記されていたのが、以下の二つの電話番号であった。X3239(ジェシカ・トンプソンに繋がる番号)とJ1173(別の人物に繋がるとされたが、捜査の主軸にはならなかった番号)である。これらの番号は、肉眼では判別が難しいほど薄く書かれており、警察が特殊な光源や拡大鏡を用いてようやく解読したものだった。

警察はこの番号を辿り、看護師ジェシカ・トンプソンへと行き着くことになった。

もしフランシス氏が本を捨てていたり、警察に届けなかったりすれば、ジェシカの名前が浮上することはなく、事件は完全に闇に葬られていた。この番号の発見により、身元不明の死体は、初めて社会的な繋がりを持った「血の通った生身の人間だった」と言う当たり前な実存感を回帰させた瞬間だった。

ビーチから400メートルの隣人

彼女は、 遺体発見現場であるソマートン・ビーチからわずか400メートルほどしか離れていない、アデレードのグレネルグという海辺の町に住んでいた。職業は、看護師。息子ロビン(1歳数ヶ月)を抱える若い母親であった。戦後の混乱期において、看護師は自立した専門職であり、同時に多くの人々と接点を持つ立場にあった。当時は後に夫となるプロスパー・トンプソンと同居していたが、二人が正式に結婚したのは1950年のことである。この「複雑な家庭環境」という盾が、後の彼女の頑なな沈黙を正当化する口実として機能していくことになる。

石膏マスク:沈黙を破る動揺

1949年7月26日、担当したリーン警部補は、身元確認のためにソマートン・マンの顔から型取った「石膏マスク」を彼女に見せた。その瞬間、彼女が見せた反応は、単なる「知らない」という言葉とはあまりにもかけ離れていた。彼女はマスクを一目見た瞬間、言葉を失い、今にも気絶しそうなほど激しく動揺した。

彼女は視線を地面に落とし、二度とマスクを見ようとはしなかった。彼女は頑なに「この男を知らない」と主張し続けたが、現場にいた警察官たちは確信した。彼女はこの男の顔を、心の底から知っている。それも、思い出したくもない、あるいは誰にも知られてはならない文脈で。

ジェシカは警察に対し、自分の名前が事件に関連して公表されないよう強く懇願した。その結果、彼女は長年「ジェスティン」というニックネームで呼ばれ、その本名は2000年代に入るまで伏せられ続けることになったのである。

ボクソール・パラドックス:用意された迷宮

警察が彼女に接触した際、彼女は「自分は独身であり、かつて『ルバイヤート』の一冊をある男性に贈ったことがある」と認めた。その男性の名はアルフレッド・ボクソール。警察は「ソマートン・マンがボクソールである。」という仮説を立てたが、驚くべきことにボクソール氏はシドニーで生存しており、彼女が贈った本も無傷のまま所持していた。

鉄の意志で守り抜かれた秘密

ジェシカは2007年にこの世を去った。彼女の娘であるケイトは、晩年の母親について「母はいつも、自分の過去に暗い秘密の扉があるかのように振る舞っていた」「あの事件について聞こうとすると、激しく拒絶された」と証言している。彼女が亡くなった後、彼女の遺品の中から新たな『ルバイヤート』や、事件を紐解く日記が見つかることはなかった。彼女は「ジェスティン」としての秘密を、鉄のような意志で守り抜いた。

彼女が守り抜いたのは、単なる不倫の過去だったのか。それとも、「別の秘密」だったのか。彼女の激しい動揺と、その後の異常なまでの沈黙こそが、ソマートン・マンが「ただの一般人(カール・ウェブ)」として死んだという公式の結論に、今もなお鋭い異議を唱え続けているのである。

2022年の解明――カール・ウェブという名の悲劇

2022年、DNA家系分析という現代の科学の光によって、「ソマートン・マン」という虚像が剥がれ落ち、カールウェブという一人の男性の人生が白日の下にさらされた。遺族(姪やその子孫たち)の証言により、カール・ウェブの背景が詳細に判明した。彼がなぜメルボルンの平穏な生活を捨て、家族の前から姿を消し、縁もゆかりもないはずのアデレードの海岸で孤独な死を迎えたのか。

遺族の証言や、当時の裁判記録、そして発見された私的な文書から浮かび上がる「失踪の真の理由」は、冷戦下のスパイ映画のような華やかさは微塵もなく、むしろ一人の男の執着と絶望、そして崩壊した家庭という、極めて人間臭く悲痛な物語であった。

熟練工とロマンチストの二面性

1905年、メルボルン近郊のフッツクレイで6人兄弟の末っ子として生まれた。職業は、熟練した電気技師であり、インストラクターも務めるほどだった。性格は、「非常に知的で、内向的、そして感受性が強い人物」だった。一方で、詩を愛し、自らも詩作に耽るロマンチストな側面もあった。彼は趣味として、競馬に並々ならぬ情熱を注ぐギャンブラーでもあった。

失踪の真実:執着の果てのアデレード

遺族が語り、そして当時の公的な記録が裏付けた「失踪の最大の理由」は、妻であるドロシー・ロバートソンとの関係の破綻であった。

1941年に結婚した二人だが、その生活は幸福とは程遠かった。カールは非常に気分屋で、ドロシーに対して日常的に身体的な暴力を振るっていたとされてる。1947年、耐えかねたドロシーはメルボルンを去り、南オーストラリア州のアデレード方面へと移り住んだ。彼女はカールから完全に逃れるために、自分の居場所を徹底的に隠した。

これこそが、カール・ウェブがメルボルンから消えた決定的な理由である。彼は自分を捨てて逃げた妻を追い、彼女を連れ戻すか、あるいは最期の決着をつけるために、アデレードへと向かった。遺族や調査チームの推論によれば、1948年4月にメルボルンで最後に確認されてから、12月に遺体で発見されるまでの数ヶ月間、彼は必死にドロシーの行方を探していたのである。

混迷を深める「平凡な真実」

カール・ウェブという人物からは、スパイとは全く縁のないどこにでも居る平凡な一般人としての人生しかなく、皮肉なことに、DNAで身元は判明したことが、かえって謎は、混迷の度合いを深める結果になってしまった。なぜ、ラベルのない衣服を纏っていたのか。なぜ、内臓があれほどまでに充血していたのか。

そしてなぜ、現場からわずか400メートルの場所に住む「ジェスティン」は、彼の顔を見て気絶せんばかりに動揺したのか。 平凡な男の悲痛な人生という「現実」と、ビーチに残された数々の「物証」との間には、依然として埋めることのできない巨大な溝が横たわっている。カール・ウェブという名前が判明した今、我々は再び問い直さなければならない。彼は本当に、ただ妻を追って死んだ「哀れな男」に過ぎなかったのか。それとも、その絶望の隙間に、歴史の闇が忍び込んでいたのか――。

ここは、オーストラリアのアデレード近郊にある古い屋敷の一室である。

皆さん、静粛に。……そう、すべての役者は揃いました

私は、暖炉の火が爆ぜる音だけが響く部屋で、集まった読者たちを見渡す。そこには、2022年のDNA鑑定という「完璧な科学」に酔いしれ、思考を止めた人々が並んでいる。

皆さんは、カール・ウェブという名前に満足された。DNAという、現代の神託が下した結論ですからね。しかし、DNAはこの「ソマートン・マン事件」のたった一つの疑問点が明らかになっただけではありませんか?

私は、テーブルの上に置かれた一冊の『ルバイヤート』を指し示す。

なぜ、一般市民のカール・ウェブが隠しポケットを作り、『ルバイヤート』から切り抜いた「タマム・シュッド」を隠し持っていたのか?

なぜ、内臓がぐちゃぐちゃなのに、穏やかな死に顔なのか?

なぜ……、なぜ……

果てしなく、なぜは続くのです。これが解決と呼べるでしょうか?

今日ここにお集まりの読者の皆様、私達が見ている現実は、真実の欠片でしかありません。その欠片を丹念につなぎ合わせたとき、本当の真実が見えてくるのです。』ソファから立ち上がり、パイプに火をつける。ゆっくりと煙を吐く。

ひとつひとつ散らばったピースを丁寧に嵌めたとき、美しいストーリーが出来上がることでしょう。それでは、ピースを一つ一つ集めてみましょう。

ピース1:穏やかな死に顔

私が、一番最初に違和感を感じたピースは、ソマートン・マンの穏やかすぎる死に顔である。彼の内臓は毒で酷く損傷していたにも関わらず、それとは対象的に死に顔が穏やか過ぎるのだ。通常、服毒自殺の場合、酷い苦痛を味わう。死に顔は苦痛で歪み、悶絶した表情になる。また、口からは吐瀉物や血液、唾液が吹き出す。胸を掻きむしり、爪で皮膚は傷だらけになる。のたうち回るので、衣服は乱れるのが当たり前だ。

しかし、ソマートン・マンの表情は穏やかで、眠っているように死んでいるのだ。しかも、服装の乱れもない。内蔵を破壊して死に至らしめる毒を飲んだ人間が、同じ姿勢でじっとして絶命するのは不可能である。この事実から、彼の死は「自殺」ではないと結論に至った。この説の補完として、ソマートン・マンが亡くなった場所が、自殺する人間にとって、かなり相応しくない場所であることも付け加えておく。

自殺場所として人目が多いビーチを選ぶことは非常に稀である。これから命を絶とうと考えている人間は、人々の喧騒の中で死を選ぶ理由が見つからない。自分の死を人々に見てもらいたいと言う、異常者しかいない。通常の自殺者は、人目につきにくい場所を選ぶ、そして、時々、人が訪れる場所だ。死ぬときはひっそりと、そして、死んだ後に発見される場所を選ぶものだ。その条件にビーチは相応しくないのである。この2つの理由から、「自殺」の可能性は極めて低いのだ。

ピース2:蚊の謎

11月30日、20時頃、若いカップルがソマートン・マンを目撃している。

ソマートン・マンは、先ほどのライオンズ氏の目撃時と同じ姿勢で、全く動かずに横たわっていた。女性の方は、彼の顔の周りに「蚊が群がっている」ことに気づいた。通常、生きている人間であれば、顔に蚊が止まれば手で払うか、顔を背けるはずである。しかし、男はピクリとも動かなかった。連れの男性は、「酔っ払って死んだように眠っているんだろう。蚊に刺されても気づかないくらいにね」と冗談を言い、二人はその場を立ち去った。蚊にたかられても、ソマートン・マンはピクリとも動かなかったのだ。通常の場合、手で払うか、顔を背けるであろう。

このことは、何を示しているのだろうか?

まず、ピースを細かくしてみよう。死んだ人間に蚊はたかるのだろうか?

それは、死んだ直後ならあるという事だ。死後数分の間、体温が保たれる。その間なら、蚊は寄ってくる。若いカップルが目撃したとき、ソマートン・マンは絶命した直後かもしれない。

それでは、他のケースはないだろうか?

生きている状態で蚊にたかられても、ピクリとも動かないのは、意識が無い場合である。

では、意識がない場合とは?

それは、絶命する瞬間か、麻酔薬などの投与された場合、意識は無くなるのである。

この2つの可能性が考えられるのだ。すなわち、11月30日、20時の時点で、ソマートン・マンの意識は無かった。意識不明は、絶命直前か、麻酔薬の投与のどちらかである。

ピース3:本当にバスに乗ったのか?

ソマートン・マンの少ない遺留品の中に、バスの半券が見つかった。これは、アデレード駅の駅前のバス停から、ソマートン・ビーチ方面(グレネルグ行き)のバスに乗車したと警察は公表している。だが、彼がバスに乗っていたと言う目撃情報はない。バスの半券ということは、すなわち「使用済み」であった。しかし「バスに残された冊子の半券(控え)と、遺体のポケットにあった券の切断面を物理的に一致させる」というパズル的な照合(フィジカル・マッチング)は行われていない。ソマートン・マンがバスに乗ってビーチに行ったというのは、推定でしかないのだ。ソマートン・マンの足取りは11時にアデレード駅の手荷物預かり所で荷物を預けた後、消えているのだ。

ピース4:カール・ウェブはどこに居たのか?

カール・ウェブが家族や知り合いの環から外れ、消息が分からなくなったのは、1947年の4月からである。それ以降、彼の消息は不明になった。噂では、アデレードで妻を探していた事になっている。しかし、彼が死ぬ1948年12月1日まで、約19ヶ月、彼の住居の記録、就職した記録が全く無いのである。

「仕事も住居もなしで19ヶ月間、カール・ウェブはどこに居たのだろうか?」

彼の名前は分かったが、19ヶ月間、どこで何をしていたのか、全くわからないという謎の人物でもあるのだ。

ピース5:なぜ、身元を分からなくしたのか?

ソマートン・マンを殺した人間は、わざわざ、洋服のラベルを剥がした。それは、彼の身元が分からないようにする強い意志の現れである。しかし、切符やタバコなどの遺品からも身元がわかる可能性もあるのに、それは捨てなかった。もし、本当に身元を隠したいのなら、裸が一番効果があって簡単だ。なのに、手間のかかるラベル取りをしている。犯人の目的に、身元は分からなくしたいが服は着せたいという、理解し難い意思を感じるのだ。

これは、何を意味しているのか?

それは、死体以上に服装を見せることが大事だと言うことである。

死体より、服装を見せるのが大事な理由はなんだろう?

それは、ソマートン・マンを、その服を着ていた人間だと勘違いさせることしか理由がない。

すなわち、ソマートン・マンは誰かの身代わりと言うことである。ソマートン・マンの服装が乱れていなかったのは、その服の方が重要だったという理由でもある。

ピース6:隠しポケット

ソマートン・マンが誰かの身代わりだとしたら、あの隠しポケットは何のために作られたのだろう。一般人がわざわざ隠しポケットを作る理由がみつからない。あっても、ヘソクリが精々だ。しかし、隠しポケットから見つかったのは、「タマム・シュッド」と印刷された紙片だ。『ルバイヤート』から切り取られた紙片なのだ。隠しポケットと謎めいた紙片、この組み合わせで思いつくのは、「スパイ」の一言である。

自分の服の一部に、分からないような細工をした隠しポケットを作り、そのなかに暗号めいた紙切れを隠し持っている。どう考えても、「スパイ」でないと辻褄が合わない。このことから、ソマートン・マンが着せられた服の持ち主は、スパイの可能性が非常に高いのである。

ピース7:誰が茶色のスーツケースを預けたか?

この茶色のスーツケースの中に入っていたオレンジ色の亜麻糸は、隠しポケットの縫合に使用されたと警察で証明された。すなわち、サマートン・マンが着ている服の持ち主の物である。11月30日にアデレード駅の手荷物預かり所に現れたのは、このスパイだった事になるのだ。

ピース8:なぜスーツケースを預けたのか?なぜ厚着をしていたのか?

このミステリー最大の難所に来たようだ。この謎が解けたとき全てのピースが嵌ったのである。

この一見したら、謎にも思えないことだが、両方とも理由が相反していて、どちらかを取れば、どちらかが取れないと言った感じで、両方を満たす理由が無いのだ。

……だが、唯一それが解ける条件を見つけた。

南半球にあるオーストラリアの気候は北半球とは真逆である。南半球の12月は初夏なのだ。気温は28℃から30℃に達する。ソマートン・マンが着ていた服は、この時期に似合わない厚着だった。初夏ならシャツ一枚でも過ごせる陽気だ。それなのに、厚手の服を着込む理由はオーストラリアに住む人間には無い。この服装をしていたのは外国人で、しかも、北半球の人間であるということだ。

彼は、イギリスかアメリカから来てパラフィールド空港に降り立った。厚手の服装は、北半球を出発したときのままだからだ。当時のパラフィールド空港は、歩いてパラフィールド駅に行けた。列車に乗ってアデレード駅に降り立ち、11月30日11時頃、持っていた茶色のスーツケースを駅の手荷物あずかり所に預けた。

ちょっと、止めよう。もう一度、よく読んでくれ給え。

……どうだろう?ここに違和感があるのを、お気づきだろうか?

彼がスーツケースを預ける理由が無い事に、お気づきだろうか?

彼は、スパイである。これから諜報活動をしようと思っているのに、商売道具が入ったスーツケースを預けるだろうか?

わざわざ、本国から飛行機で持ってきた、スーツケースである。しかも、スーツケースの中には着替えも入っている。気温が高いのに厚着をしているわけだから、一刻も早く着替えたいはずである。その着替えもしていないのに、スーツケースを手荷物預かり所に預ける理由が無いのである。

例えば、スーツケースに機密文書とか入っていて、それをオーストラリアに居るエージェントに密かに渡したいとき、駅の手荷物預かり所を中継として使うこともできる。だが、スーツケースは至って平凡なスパイ道具しか入っていなかった。だから、理由が見つからないのだ。着替えるのが優先だから、預ける事はありえないのだ。私は、この壁にぶち当たり、一時は謎の解明を諦めたくらいだ。

そしてスーツケースを預ける理由が一つだけ見つけることができた。

……それは、なんだと思いますか?

もう、お気づきですか?

そうです。彼は、入国してきた人間ではなくて、これから出国する人間だったのです。

彼の厚着は、彼の自国が北半球にあるため、あらかじめ厚着をして着替えなくても良いようにしていたのだ。そして、スーツケースの中身はスパイで使うものであるので、自国では使わない。だから、駅の手荷物預かり所に預けたのである。

彼は、しばらくしたら、またオーストラリアに帰国して、スーツケースを取り戻すつもりであった。もし、二度と帰るつもりが無いのなら、処分する方法は他に沢山ある。預けたということは、いずれ取り戻すという意思の表れである。

このピース8の意味は大きい。私達はいままで、外部から来た人間に焦点を当てていたが、本当は内部の人間だったのだ。つまり、イギリスかアメリカに帰るスパイが、ソマートン・マンの身代わりの正体だったのだ。

ピース9:冷戦の中のカウントダウン

ソマートン・マンがアデレードの海岸で発見されたあの時期、それは、第二次世界大戦という未曾有の惨禍が残した硝煙がようやく収まりつつあった一方で、世界が「冷戦」という名の目に見えない新たな戦いへと足を踏み入れた、極めて不安定でドラマチックな転換点であった。

1945年8月、広島と長崎に投下された原子爆弾は、人類の歴史を「核以前」と「核以後」に分断した。1948年当時、米国は世界で唯一の核保有国として君臨していたが、その優位性は砂上の楼閣に過ぎなかった。

東側陣営の盟主、ソビエト連邦による「核の追走」が、狂気じみた速度で進められていたからである。1949年8月のソ連初の核実験(RDS-1)へと至る道筋において、1948年はまさに「臨界点」であった。スターリンは、西側の技術を、その「頭脳」ごと奪取することを最優先課題としていた。弾道計算、電子工学、そしてロケット工学。科学者の脳に刻まれた数式こそが、次の戦争の勝敗を決する唯一の希望だったのである。

なぜ、世界の果てとも思える南半球のオーストラリアが、この「核とロケット」の主戦場となったのか。その答えは、広大な砂漠と、英国という「母国」との血の繋がりにあった。戦後、英国は独自の核武装とミサイル開発を急いでいた。

しかし、狭い島国には巨大なロケットを飛ばす場所も、核の痕跡を隠す荒野もない。そこで白羽の矢が立ったのが、西オーストラリア州から南オーストラリア州にかけて広がる広大な大平原だった。

1947年、アデレードから北西に約500キロメートル離れた地に、「ウーメラ長距離兵器実験場(Woomera Range)」が設立される。ここは、大英帝国の再興をかけた軍事技術の心臓部であり、同時に西側諸国の最先端技術が結集する「秘密の聖域」となった。1948年当時、ウーメラは単なる施設ではなく、世界中のスパイがその耳をそばだてる、情報の集積所だったのである。

この時期、西側の情報機関(ASIOの前身やMI5など)は、ある戦慄すべき事実に気づき始めていた。オーストラリア国内の重要機密が、組織的にモスクワへと流出していた。

これを発見したのが、ソ連の暗号通信を傍受・解読する超極秘プロジェクト「ヴェノナ(VENONA)」である。1948年、暗号解読班は、アデレードの外交施設やメルボルンの学術界に潜伏するソ連のスパイ網――通称「Kグループ」の存在を特定しつつあった。

西側の包囲網が狭まる中、東側は自らのアセット(スパイや技術者)を失うことを極度に恐れた。

彼らにとって、機密を知る人間が西側に捕まることは「死」よりも恐ろしいことだった。1948年11月、アデレードに漂っていた空気は、単なる夏の熱気ではない。それは、いつ爆発してもおかしくない「摘発」へのカウントダウンだったのである。

ピース10:危険な「理由」

この「ヴェノナ・プロジェクト」この極秘計画が暴き出した事実は、当時の西側諸国にとって「悪夢」以外の何物でなかった。1948年当時、オーストラリアを含む西側諸国のインテリジェンス・コミュニティ(諜報界)がどのような衝撃に包まれていたのか。それは、戦後の歴史を塗り替えるほどのものだった。

ヴェノナは、西側諸国の機密情報がソ連に筒抜けであったことを示していた。アメリカの原爆開発計画「マンハッタン計画」に関わっていた、亡命ドイツ人の物理学者クラウス・フックスが、原爆の設計図をソ連に渡していた事。

それだけではなく、ジュリアス&エセル・ローゼンバーグ夫妻がスパイ網の中継役として活動していたことを裏付けた。これら三名の存在は、冷戦初期の核抑止力の均衡を劇的に変え、米国社会に「赤狩り」の嵐を巻き起こした、歴史上の極めて重要な特異点となった。

ソ連の工作員は、末端の技術者だけではなく国務省の高官のアルジャー・リス、財務次官補であり、IMF(国際通貨基金)の設立にも深く関わった人物で知られるハリー・デクスター・ホワイト、これらホワイトハウスに近いエリートたちが、ソ連の協力者(エージェント)であったという事実は、アメリカ社会を震撼させた。

ヴェノナによって明らかにされたのは、その協力者の驚くべき「もう一つの顔」だった。政府の高官や科学者だけではなく、「普通の一般人」が多く含まれていたのだ。彼ら彼女らは「外務省職員」「タイピスト」「技術者」など普通の人だった。

ここで、現代を生きる我々にとって最も解きがたい謎が浮上する。なぜ、軍人でも訓練を受けた工作員でもない、ごく普通の「一般人」例えば看護師や技術者、あるいは熟練工が、命の危険を冒してまでスパイ活動に手を染めたのか。

我々もまた、1948年の人間の内面に潜り込まなければならない。そこには、3つの「理由」が横たわっている。

理由1:同志

1948年の人々にとって、第二次世界大戦の記憶はまだ生々しい血の匂いを伴うもだった。ここで重要なのは、当時の多くの西側諸国の市民にとって、ソ連は「恐怖の独裁国家」ではなく、「ナチス・ドイツという絶対悪を打ち破った救世主」であったという事実である。

スターリングラードの攻防戦で示されたソ連軍の驚異的な忍耐と犠牲は、オーストラリアを含む英連邦の市民に深い敬意を抱かせた。

「チャーチルやルーズベルトも偉大だが、実際にヒトラーの息の根を止めたのはスターリンではないか」という言説は、当時のパブや茶の間でごく自然に語られていた。

この「同盟者としてのハロー効果(後光効果)」が、スパイ活動への協力を極めて容易にした。一般人にとって、ソ連の工作員に情報を渡したり、彼らを匿ったりすることは、自国を裏切る「反逆」ではなく、昨日まで共に戦っていた「戦友」へのささやかな恩返し、あるいは「共通の理想」のための協力であると錯覚されやすかった。「あなたが信じていた「正義の味方」が、ある日突然、政府から「今日から彼らは敵だ」と告げられたとき、あなたの心はすぐにその色を塗り替えられるでしょうか?」

理由2:葛藤

1940年代、共産主義は単なる政治思想ではなく、「歴史の必然を解き明かす究極の科学」として、最高知性たちを魅了した。

特にケンブリッジ大学やオックスフォード大学といったエリート層において、資本主義は「恐慌と戦争を繰り返す欠陥品」と見なされていた。1930年代の黄金時代を経験した彼らにとって、大恐慌による失業者の列は資本主義の死刑宣告に他ならなかった。対照的に、ソ連が掲げる計画経済と五カ年計画は、合理性と科学によって人類を解放する「輝ける未来」として映った。

この「知的な憧憬」は、一般市民にも浸透し、看護師や技術者といった専門職の人々にとって、共産主義は「無知と貧困から人々を救うための処方箋」に見えた。核兵器が登場したこの時代、人々は「国家という枠組みが人類を滅ぼす」という恐怖に直面していた。アインシュタインを筆頭とする多くの知識人が世界政府の必要性を説く中で、共産主義という国際的な連帯は、国家を超えた「人類全体の利益」を守るための手段に見えたのである。

アメリカが核を独占している状態こそが戦争を招く。

ソ連にも情報を与え、軍事的な均衡を保つことこそが真の平和に繋がる。このような「倒錯した平和主義」が、技術者たちが機密を漏洩させる際の強力な倫理的免罪符となった。

理由3:選民意識

1940年代は、現代よりもはるかに閉鎖的で、個人の行動は厳格な規範で縛られる社会だった。その中で、地下活動に身を投じることは、平凡な日常を劇的な「歴史の最前線」へと変貌させる魔法なのだ。 自分が誰にも知られていない「真実」を握っている。自分の一挙手一投足が、世界の運命を左右している。見知らぬ同志と「暗号」で繋がっている。

この「秘密の共有による選民意識」は、社会から疎外感を感じていた労働者や、抑圧されていた女性たちにとって、麻薬のような魅力を持っていた。ジェシカ・トンプソンが『ルバイヤート』を通じてソマートン・マンと繋がっていたとすれば、それは単なる不倫の恋ではなく、「世界を変える秘密を共有する唯一の理解者」としての深い結びつきであったのかもしない。

1948年における一般人のスパイ活動への協力は、決して「金銭」や「脅迫」によるものではない。それは、「共産主義という名の壮大な実験」に自らの人生を賭けた、あまりに純粋で、それゆえに危険な情熱の結果だった。

彼らは、資本主義の崩壊を信じ、ソ連を「未来の雛形」と見なし、人類の救済を本気で夢見た。しかし、その夢の代償として、彼ら彼女らは自らの名前を消し、ラベルを切り取り、自らの人生の一部あるいは全てを永遠に失う結果となった。

ソマートン・マン事件の本質は、一人の男の死の謎に留まらず、理想が現実によって裏切られる過程であり、個人の魂が巨大なイデオロギーの歯車に噛み潰されていく悲劇の物語そのものなのである。

ピース11:身代わりという器

このミステリーで唯一、彼(北半球に帰るスパイ)が現れたのは、11月30日11時頃、アデレード駅の手荷物預かり所にスーツケースを預けた瞬間である。そのたった一つの手がかりから彼を探すしかない。彼は次の瞬間、誘拐され、カール・ウェブという身代わりと入れ替わっている。このことは、事実だ。「これは、何を示しているのだろうか?」「ここで、彼の素顔を一つづ剝がしていくことにする。」

検証:高い価値

一般人を誘拐する目的は、殆どが身代金の要求である。しかし彼の場合、身代わりを用意された。このことから彼の価値は、人の命よりも高いのである。

検証:身代わりの理由

可能性1:機密書類

彼が重要な機密書類を持っいた場合、この時は、彼から重要書類を奪うことで事足りる。その後の彼の処分は、色々手段がある。わざわざ、身代わりを用意する理由はない。

可能性2:機密情報

彼が重要な機密情報を知っている場合。これも、彼から何らかの手段(拷問等)で聞き出せばよい。諜報部ならその道のプロフェッショナルだろうから、逃れることは出来ないだろう。そして、その後の処分は想像に難くない。

可能性3:二重スパイ

スパイ行為での裏切りによる報復、これは良くあるスパイに纏わる話である。彼が二重スパイ行為をしていて、裏切っていた場合だ。この場合は、彼を誘拐して殺害する理由になるが、他の裏切り者への見せしめとして、死体は残酷に切り刻まれ晒されるのが一般的だ。

可能性4:彼自身が必要な場合

彼の能力自体が非常に高い価値があるとき、彼の命は最優先に保護される。もし、彼がソ連が最も必要としている技術の中核の人間だったら。身代わりとすり替えて、ソビエトに召還し、彼に本国の研究所で核兵器の開発に従事させる。生きた人間をそのままソ連に連れてくれば、長期にわたり技術の水準を伸ばすことができる。それは、計り知れない価値を持っているのだ。

1948年時点でソビエトは、核兵器の開発に関しては最終的な段階を迎えていたが、ロケット技術の開発は始まったばかりだった。もし、ロケットに核弾頭を搭載することができたら、その威力は計り知れない。勿論スターリンは、西側諸国よりも一刻も早く、ヨーロッパ全土、できればアメリカ本土に到達する長距離弾道ミサイルを開発したいと思っていた。4つの可能性で、一番高いのは、4番目であるのは誰がみても明らかだ。それ以外に、身代わりを用意する理由が見つからない。

ピース12:可能性ゼロの合致

そのような重要人物が当時存在してたのだろうか?」彼の条件は、ロケット開発において非常に高い知識と経験をもっていること、ソ連に召還しても将来にわたり協力が見込まれること、今の段階で、自由の身であり誘拐が容易であること。もしくは厳重に監視されていない状態であること。

もし、この人物が見つけることが出来なければ、私の推理の説得力は半減するだろう。私は緊張しながら、当時の資料を丹念に調べた。そして、奇跡的に一人の人物の割り出しに成功した。

当時のウーメラ試験場の管理本部は、アデレード市街から北に約20km離れたソールズベリーの長距離兵器研究所(LRWE)に置かれていた。当然、ウーメラのデーターや設計図などは、長距離兵器研究所にこそあったといえる。「世界の最先端技術と機密が眠る場所」だったのである。私は、当時の記録を入手して、もしかして、そこに勤務している人間で行方不明になった技術者が居ないか詳細に調べたが、1948年11月30日の前後において、長距離兵器研究所(LRWE)の職員が行方不明になったという公式な記録や報告は存在しなかった。しかし、数日前に退職してそのまま行方が分からなくなった一人の人物にたどり着いたのだ。それが「S氏」だった。

ピース13:「S氏」

南オーストラリア警察および他州の警察は、1948年11月から12月にかけて報告されたすべての行方不明者と遺体の特徴を照らし合わせたが、一致する者は一人もいなかった。当然、ウーメラや長距離兵器研究所も洗われた。しかし、私はここで「身代わり説」を補強する上で、注目すべき不審な記録の断片を見つけた。それは、1948年11月に「健康上の理由」で辞職した、英国人弾道学者仮名:S氏)であった。彼は、パラフィールド空港からの出国記録が無く、その後、行方不明になっている。ここで、彼が身代わりを用意するだけの人物なのか前述の「可能性ゼロの合致」の条件と照合して検証する。

価値:ロケット開発において非常に高い知識と経験をもっていること

S氏は英国ファーンバラの王立航空研究所(RAE)出身の弾道学および流体力学のスペシャリストである。超音速域におけるミサイルの弾道制御、および固体燃料ロケットの推進効率計算の専門。これらは、当時ウーメラで開始されようとしていた長距離弾道ミサイル開発の「心臓部」にあたる技術である。1948年初頭、英国政府からソールズベリーの長距離兵器研究所(LRWE)へ「技術顧問」として派遣。パラフィールド空港に軍用機で到着した。「S氏」の価値は、超一級品である。

協力性:ソ連に召還しても将来にわたり協力が見込まれること

隠しポケットに「タラム・シェット」の紙片を隠し持っていたこと、茶色のスーツケースの中身から察して、東側のスパイであったと考えられる。よって、協力的であると判断できる。「S氏」の価値は、一時的ではなく時間と比例して増大するので計り知れない。

難易度:今の段階で、自由の身であり誘拐が容易であること

公式記録に「1948年11月25日付で健康上の理由により辞職。即日、英国へ帰国」と人事ファイルに記載されている。長距離兵器研究所を退職した身であり、研究所内の住居から退去するだろうから、自由な個人の身である。難易度は低い。

敵の有無:ターゲットが厳重に監視されていない状態であること

ソマートン・マン事件が発生した一番大きな理由がここにある。S氏は、西側の諜報機関から厳重に監視されていた可能性が高いのだ。何故なら、西側の監視がない人物に、身代わりは必要ないからである。

ピース14:温度差

S氏は、「1948年11月25日付で健康上の理由により辞職」というニュースが両陣営の諜報機関に衝撃をもたらした。何故なら、彼は自由の身になったからだ。これは東西にとって全く逆の意味を持っていた。彼は、超音速域におけるミサイルの弾道制御、および固体燃料ロケットの推進効率計算の専門家で、当時の最先端の技術の中核である。その頭脳と経験は、両陣営にとって脅威であった。それが野に放たれた瞬間、彼の確保は両陣営にとって最優先にされた。何故なら、どちらも相手に渡したくないからだ。

このせめぎあいの中で、発生したのがソマートン・マン事件だった。西側の諜報機関(MI5:保安局)にとって彼の持ってる情報を東側(ソ連)に渡すことは、西側諸国の核の優位性をおびやかすどころか、東側に優位性を与えることに直結する。当時西側もロケットの開発は完成していない。先に弾道ミサイルに核弾頭を詰むことは、世界のヘゲモニーの立場に立てるのだ。どうしても、彼は確保しないといけないのだ。

もし、彼を逃したら、東側のロケット技術は飛躍的に伸びる可能性が高い。MI5にしたら彼を東側に渡すくらいなら、消すという最終手段があった。でも、それは最後の手段で、できれば彼を生かして今後の研究に役立ってもらいたいという思惑があった。そこで、彼がオーストラリアを出国してから、本国で彼に接触して協力を要請するような、緩めの考えがあったのだろう。しかし、東側の諜報機関(MGB:ソビエト連邦国家保安省)は違った。

S氏はスターリンがもっとも欲っした人物である。彼は、ソ連のスパイであって協力的だ。機密情報の漏洩まではしてくれた。しかし、長距離兵器研究所を退職したので機密情報はなくなる。いずれ出国してイギリス本国に帰ってしまい、心変わりをしてしまうかもしれないし、イギリスで彼を誘拐するのは困難である。そこで、MGBは決断をした。彼をオーストラリア国内で誘拐し、本国に送ることをである。

しかし、敵のMI5(イギリス保安局)がどのような方針をとっているか判断しかねた。すぐにでもS氏を殺害して口封じをすることも考えられた。MGBとして、それは絶対に避けないといけない。そこで編み出されたのが身代わりである。もし、「S氏が死んだ」ことになれば、MI5は身元の確認作業をする。何故なら、口封じの最終手段があるからだ。組織内で、誰かが何らかの事情で殺害したことも考えられるからだ。

その確認に少なくともに一、二日はかかる。さらに死体の所持品が、アメリカ製のタバコ、ガム、アメリカ仕立ての服であった。これは、単にMGBだけでなく、アメリカの諜報機関のC機関の関与も疑われるのだ。MI5は混乱をきたす。その間、敵の妨害工作は減少し、その隙をついてS氏を沖合にいる潜水艦に乗せて本国へ送還する。

この両陣営の温度差と、S氏が退職してからわずか5日しかないという時間のなさからくる焦りが、あのソマートン・マン事件の裏で起きていたことではないだろうか。情報機関の仕事としては、証拠が残されすぎているのが、この事件が、急ごしらえであった証明である。時間があったら、私たちの目に触れる事すらなかったからだ。

ピース15:カール・ウェブ

MGB(ソビエト連邦国家保安省)の焦りは頂点に達した。この作戦に絶対に欠かせないのが、S氏の身代わりである。その肉体が無ければ、敵の妨害は歴史に残るほどの激しさになるだろう。「1人の人間をどのように、急遽用意したのだろうか?そんなことは可能だろうか?もし可能なら、それは、カール・ウェブの条件と一致するはずである。」それでは、検証をはじめる。

条件1:服のサイズに適合する体格

ソマートン・マンであるカール・ウェブの警察の調査記録からも、検視の結果からも、服のサイズの異常は報告されてない。まるで、カール・ウェブ本人の服に疑いの余地がないほど、ジャストサイズだったという表れである。カール・ウェブは、彼の体格と酷似していたのだ。

条件2:行方不明者

ソマートン・ビーチで発見されて、すぐに身元がバレない人物、そして極めて繋がりが薄い家族構成。この理想に合致するのは、家族からの環から外れ、すでに行方がわからなくなっている人物なのである。カール・ウェブが家族から消息を立ったのが、1947年4月であった。すでに19ヶ月に渡り、捜索願いが届けられていない。これは、当分の間、もしくは将来に渡り誰も彼を探さないことを意味している。

そして、消息を絶つ正当な理由もあった。それは、元妻の捜索である。カール・ウェブは生前の趣味が、競馬であった。競馬場という場所は、不特定多数の人が交差する場所であり、誰かが話していても決して注目され無い場所でもある。MGBは日頃から、使えそうな肉体を探していた。そこに現れたのがカール・ウェブだった。エージェントは彼と親密に成り、家族構成や彼の身の上話を聞き出し、行方が分からなくなっても誰も探さないし、失踪する理由もあることから使えると判断したのだ。

条件3:すぐに調達できること

この一行はゾッとするほどの恐ろしさを含んでいる。私達が食料としている家畜は、必要なときすぐに解体できる用に飼育されている。また、折の中に閉じ込めてある生き物なら生殺は自由自在だ。このどちらかが考えられる。しかし、カール・ウェブを監禁した場合、服のサイズが適合しなければ、彼は身代わりとして使用できないのだ。もし必要なときに必要な条件を満たした肉体をピックアップすると考えると、数十人レベルを監禁しないと、いざというとき機能しない。

カール・ウェブのような人間を数十人、数年もの長期に渡り、監禁するのは、大きな刑務所レベルの施設を運用しなければならない。しかも、異国で完璧に隠匿しなければならない。絶対に不可能である。「それでは、そのように数十人を何時でもピックアップできるシステムを異国でつくる方法があるのだろうか?」……それは、飼育である。

カール・ウェブは、MGB(ソビエト連邦国家保安省)に飼育されていた人間のひとりだった可能性が高い。すぐに身代わりを用意できたのは、日頃から監禁ではなく、軟禁に近い状態で、数十人規模を飼っていたということである。では、1人の人間をどのようにしたら、飼えるのだろうか?私の考えは、女性の存在だ。カール・ウェブに女性をあてがい、彼女の住居で同居させる。MGBから彼女に手当が支給され、男を養う。男には外出はなるべく控えるように「嘘」を吹き込んでおく。例えば、「別れた夫に見られたら酷い目にあう」とかだ。

そのへんのマニュアルはMGBは無数に持っている。男は、女のヒモのようになり、相当な理由が無い限り逃げ出すことはない。それならば、経費も安く、最小限の隠蔽工作で済む。男と女が同居している風景は社会にどこにでもある。完全な隠蔽はむしろ、ありふれた風景に溶け込むことで完成する。1948年のオーストラリアには、MGBに喜んで協力する一般人の女性は沢山いた。表向きは、ちゃんとした仕事をしていた女性、たとえば事務員、タイピスト……そして看護師とかだ。

「全てのピースは出揃いました。……タラム・シュッドの紙片やジェシカの謎について説明はされていないとお思いの読者様は、鋭いです。まだ、その説明はしていません。じつは、ソマートン・マン事件とは繋がっていますが、別の話なのです。それは、後で解決するとします。」

「この全てのパズルのピースを、完全に、完璧にはめ込むことができるでしょうか?これは、相当に想像力と根気を要する作業です。あたかもジグゾーパズルを組み立てるのと同じように。それでは、挑戦してみましょう。」


「冷戦」という名の巨大なジグゾーパズル

1948年6月28日、ルーマニアのブカレストで開催されたコミンフォルム(共産党情報局)の会合において、「ユーゴスラビア共産党はコミンフォルムから追放された」という、衝撃的な宣言が発表された。当時、西側諸国の指導者たちはこのニュースを耳にして、耳を疑った。なぜなら、ユーゴスラビアのヨシップ・ブロズ・チトーは、東欧の中でも最も熱狂的で忠実な「スターリンの弟子」であると目されていたからだ。

しかし、その内側では、国家のプライドと生存をかけた、凄まじいまでの「意志の衝突」が起きていた。ソ連の他の衛星国(ポーランド、ハンガリー、チェコスロバキアなど)とユーゴスラビアの決定的な違いは、その「建国のプロセス」にあった。他の国々がソ連赤軍の進駐によって「上から」社会主義化されたのに対し、ユーゴスラビアは、チトー率いるパルチザン部隊が自力でナチス・ドイツを撃退し、自らの手で国を解放したという強烈な自負を持っていた。

「我々はソ連の力で国をもらったのではない。自らの血で勝ち取ったのだ」この自負こそが、スターリンからの不当な命令を拒絶するチトーの精神的支柱となっていたのだ。スターリンにとって、衛星国の指導者は自分の「部下」に過ぎなかったが、チトーは自らを「同志であり、対等なパートナー」であると考えていた。

1948年6月の追放宣言に対し、チトーは屈するどころか、ユーゴスラビア共産党大会を開催し、国民に対してソ連の不当な圧力を暴露した。スターリンは、「私が小指を動かせば、チトーなど一瞬で消えるだろう」と豪語したが、ユーゴスラビア国民は、強大なソ連に立ち向かう「英雄チトー」を熱狂的に支持した。スターリンの小指は、チトーを消すどころか、彼を「国民的英雄」へと押し上げてしまった。

決裂後、スターリンの怒りは狂気へと変わった。MGB(ソ連国家保安省)は、チトー暗殺のために、生物兵器や狙撃手、さらには毒ガスを用いた複数の工作を試みたと言われている。この、1948年のユーゴ決裂は、共産主義が「一枚岩の宗教」ではなく、国家の利害によって分裂し得ることを世界に証明してしまった。

1948年11月25日、両陣営の諜報機関に或るニュースが伝えられた。それは、最重要人物S氏がソールズベリーの長距離兵器研究所(LRWE)を退職するというものだった。この事は、S氏が自由な状態になることを示している。S氏は超音速域におけるミサイルの弾道制御、および固体燃料ロケットの推進効率計算の専門家なのだ。このニュースは、両陣営の諜報機関に衝撃を与えた。それはS氏の確保という、争奪戦のファンファーレが鳴ったことを意味していた。

西側にとって彼の情報は、トップシークレットに値する。当時、核兵器の開発技術、及びロケット技術は、世界の勢力地図を大きく変えてしまうほどの、意味をもっていた。西側の諜報機関、MI5(イギリス保安局)は絶対に東側に渡したくない人物なのだ。一方、東側の諜報機関のMGB(ソビエト連邦国家保安省)にとって、彼の情報は、どのような宝物よりも価値が高かった。なぜなら、ソ連は1949年8月に核実験に成功している。いま必要なのは、核開発の情報よりも、ロケットに関する技術であるのだ。ソ連は核開発でアメリカに4年遅れていた。

アメリカは世界で核兵器を開発できる唯一の国として、君臨していた。ソ連の危機感は計り知れない。ソ連は、まだイデオロギーでリードしていたが、実際の軍事面では負けていた。このまま、核開発が遅れたら、東西の差が広がり、ユーゴスラビアのように衛星国が離反するだろう。スターリンはソ連の安全を確立するため、絶対に衛星国で周囲を囲みたいのだ。

スターリンはそのことに異常なまでに神経を尖らせていた。それは、ドイツに直接責められた恐怖の経験があったからだ。ソマートン・マン事件が発生した時期はスターリンにとって、ユーゴスラビアの離反という衛星国の瓦解のはじまりと、核開発の遅れというジレンマが最高潮に達していた時であった。その波紋は、遠い南半球のオーストラリアの工作員にも伝わってきていた。

11月30日、S氏はスパイ道具が入ったスーツケースを持って、長距離兵器研究所内の自宅を引き払った。彼は、自国のイギリスに帰国する予定だ。そのため、すこし暑かったが冬の格好をすることにした。ソールズベリー駅から列車に乗車した。30分程度で、アデレード駅に到着し、手荷物預かり所にスパイ道具が入ったスーツケースを預けた。パラフィールド空港に行くため、ゴーラ線のホームへ向かった。途中、用を足しにトイレに入った。その瞬間、数人の屈強な男が現れ、あっという間に自由を奪われた。

気がついたら外に停車していた車に乗せられていた。それは数十秒の出来事だった。後部座席で両脇に先程の男に囲まれて、目隠しをされた。この間、MI5(イギリス保安局)の工作員は、S氏を見失っていた。MGB(ソビエト連邦国家保安省)は、MI5が盲点になる瞬間を狙って巧妙に誘拐したと思われる。MGBのソマートン・ビーチの近くの隠れ家に、連れて行った。S氏は、MGBの説明を受けたと思うが、いつも付き合っている連中とは違い、全く初めて合う工作員ばかりだった。S氏にMGBの要望を断るのは、命に関わるので言うことを聞くしかない。

そこで、服を着替えさせられた。渡されたのは黒い上下の服だった。S氏はそれに着替えた。着ていた服は、どこかに持ち去られてしまった。服のことよりも、これからの自分の運命で頭が一杯だった。ズボンの隠しポケットの事もすっかり忘れていた。別室にはカール・ウェブと、同居していた女が待機していた。彼女は、カールが逃げ出さないように一緒に隠れ家に呼ばれていた。その方が、カールも安心して来れたのだろう。女については、後で口封じのため処分することになっていた。16時頃、カールにイギリスの食事を取らせた。

解剖された時、イギリス人に見せるためだ。17時頃、カールに麻酔薬を投与し、意識がなくなった時点で、服を着替えさせた。工作員は、カールを車に乗せ、ソマートン・ビーチに向かった。

18時前後にビーチに到着した。車の中で、致死量の毒薬を注射した。毛が密集した箇所に注射を打てば、注射の後が分からないだろう。人の往来が途切れた瞬間を狙って、カールを海岸の防波堤に横たえた。服の乱れを直し、耳にタバコを指して、吸いかけのタバコを襟のすぐ横に置いた。砂浜の砂を軽く箒で掃いて足跡を消し、すぐに立ち去った。

カール・ウェブを人目がつく海岸に配置したのは、すぐに発見してもらいたかったからである。その後、19時と20時に目撃されるが、通報に至らなかった。しかも、19時の時点で、麻酔をかけたにも関わらず、彼の強靭な肉体のせいで、毒の破壊に体が反応して腕が上がった。MGBの思惑は外れ、カールはなかなか死ななかった。20時にもカールは目撃されたが、蚊がたかっている事から、生きていると思われた。実際、死後直後か、まだ死ぬ直前だったと思われる。結局、その日は通報されなかったのは、MGBの誤算であった。

どうも、MI5(イギリス保安局)の妨害工作は始まっていなかったが、失敗は許されない。そこで、もう一日、予定を延期することにした。次の日の朝、6時30分にカールは発見された。警察が駆けつけ、やっと調査が始まった。それは、たちまちニュースになって報道された。MI5は、すぐにS氏が殺されたと思った。しかし、身元不明の報道から、確認する必要があった。何より衝撃だったのは、彼の所持品である。イギリスの銘柄の箱の中身はアメリカ製のタバコであった。そして、なによりアメリカ製のガムを持っていた。

これは、生前S氏がアメリカに通じていた証拠でもあった。当時のオーストラリアで、アメリカ製のガムを入手できるのは限られていたからだ。アメリカ出身者か軍の高官、船舶の乗組員たちくらいで、一般に流通している代物ではない。ソールズベリーの研究所で入手できるとしたら、アメリカの工作員との接触していた可能性が高いのだ。MI5(イギリス保安局)内部で混乱が発生した。それは、MGBとアメリカの諜報機関のCIA、両方の可能性が浮上したからである。なぜ、CIAの関与が疑われたのか、それは、アメリカにとってもロケットの推進技術は欲しかったからである。

S氏がアメリカに来れば国益になるのは、ソ連と同じだった。この瞬間、MI5は麻痺してしまった。MGBの狙いは、それだった。MI5は、S氏の行方が分からなくなれば、必死で探し、MGBの意図を見抜くであろう。それは、夜間沖合に停泊している潜水艦に、S氏を乗せて、ソ連本国に送る計画である事を。それをさせないために、オーストラリア政府にも働きかけて、海岸の警備や、海上の偵察は厳しくする。

そうなると、脱出は困難を極める。どうしても、警戒される前に潜水艦に搭乗させないといけない。そのための身代わりであった。S氏の脱出は、12月1日の深夜に行われたと思われる。どこかの海岸から高速の船が沖に向った。黒い海に白い波を上げながら沖にどんどん進んでいく。その船には国家の宝となる人物が観念した様子で乗っていた。黒い海から黒い物体が浮かび上がった。それは、ソ連の潜水艦である。S氏はその中に静かに入っていった。

最後に、1948年以降、ロケット技術の進展と、後に勲章を授与した人間を調査したので報告する。

1940年代後半まで、ソ連のロケット(R-1, R-2)はドイツのV2の改良版に過ぎなかった。しかし、1950年に開発が始まり、1953年に初飛行した「R-5(SS-3 Shyster)」において、突然の変異が見られた。V2やR-1の射程は約300km。R-2でも約600kmであった。ところがR-5では、エンジン構造が劇的に洗練され、射程が一気に2倍(1200km)へと跳ね上がっている。

R-5は世界で初めて「核弾頭を搭載可能」な弾道ミサイル(R-5M)へと進化した。1949年の核実験成功からわずか数年で「核とロケットの統合」という極めて高度な弾道計算・推進制御技術を完成させている。これは、独力(あるいは既存のドイツ人技術者のみ)での開発スピードとしては、あまりにも速すぎる。

1954年に設計が開始された世界初のICBM、R-7。その最大の特徴は、当時としては驚異的な命中精度を誇る「ラジオ・コレクテッド・ガイダンス(無線修正誘導)」だった。当時、この無線誘導と弾道計算の理論は、英国のRAE(王立航空研究所)や、オーストラリアのウーメラで進められていた誘導ミサイル計画において、最も機密度の高い領域であった。

1950年代初頭、ソ連の誘導装置は不自然なほどコンパクトになり、かつ精密になっている。もし、「S氏」が、ウーメラで開発中だった最新の誘導アルゴリズムを携えてソ連に渡っていたならば、R-7の設計段階における「誘導システムの最適化」という最大の難所を、ソ連がショートカットできた理由が完璧に説明できる。

ソ連のロケット開発の聖地であるNII-88(後のOKB-1)や、カプースチン・ヤール発射場の当時の人事記録を照合すると、1949年以降、「西側から来た、公式には存在しない専門家」の影が散見される。1950年代初頭のR-5ミサイル開発の現場において、ドイツ人技術者(グリュトルップのチーム)とは別に、「ステパノフ」というロシア名を与えられた英語を話す技術者が、弾道計算の顧問として関わっていたという証言が一部の回想録に残されている。

また、1957年のスプートニク1号打ち上げ成功後、多くの開発者に「レーニン勲章」や「社会主義労働英雄」の称号が授与されたが、そのリストの中には、「1948年以前の経歴が完全に白紙で、かつ授与式に顔を出さなかった」不自然な受章者が数名含まれている。これこそが、アデレードから消えた「S氏」に与えられた、国家からの「報酬」だった可能性は否定できない

砂浜に遺された「偽りの署名」

これまで私たちが「解決」と信じていた2022年のDNA鑑定結果——カール・ウェブという名は、真実を語るものではなく、真実を隠すための「完璧な器」の名称に過ぎなかった。1948年12月1日。アデレードの砂浜に打ち捨てられていたのは、一人の男の死体ではなく、西側諸国が失った「未来の設計図」を巡る、隠蔽工作の残骸だった。

英国の最高機密であるロケット技術を一身に背負った「S氏」。彼が自由を求めて旅立とうとしたその瞬間、冷戦の影を走るMGB(ソビエト連邦国家保安省)が牙を剥きだした。彼らが仕掛けたのは、単なる誘拐ではなく、一人の「身代わり(カール・ウェブ)」を用意し、その衣服に「アメリカの魂(タバコとガム)」を忍ばせることで、MI5に『アメリカによる不法な引き抜き』という偽のシナリオを信じ込ませる、壮大な「偽旗作戦(フェイク・フラッグ)」だったのだ。

西側の諜報機関が、砂浜の死体と「アメリカの影」を巡って混乱に陥っている間、本物のS氏は深夜の海から黒い鯨(潜水艦)へと消え去った。その後のソ連ロケット技術の異常な飛躍、1949年以降のR-5ミサイルの成功や、後のICBM開発における「不自然なショートカット」こそが、S氏が東側で生きていたことを示す、何より雄弁な歴史の証言なのだ。MGBは、スターリンの粛清という断頭台に背中を押されながら、この「完璧な奇術」をわずか数日間で完成させた。……しかし、完璧だと思われた計画に、わずかな綻びがあった。

窓の外は、すっかり暗くなり、月光が森を照らしている。私は大きく煙を吐き、振り返った。

皆さん、ご注目ください。物語は、ここで終わる(タマム・シュッド)はずでした。

MGBは、S氏を誘拐しカール・ウェブを置いた。衣服のラベルを剥ぎ取った。しかし、彼らは一つだけ、知らないことがあったのです。組織というシステムが持つ根源的な性質が引き起こした歪でした。その歪は、重大な見落としに繋がりました。

それはMGBにとって、自分たちの大事な「スパイ網」を自ら壊滅しかねない、最悪の時限爆弾だったのです。世界に名だたるMGBにとって、自ら犯行を認めるしか、自分たちのミスをリカバリーできなかった。それは、諜報機関としては屈辱的だったはずです。

私にとっては、この些細なミスが、この事件の解明のきっかけになりました。

暖炉の火が、部屋にも読者の顔にも影を浮き立たせる。

口を開くものは居ない。息をひそめ、私の言葉を待っている。

私はソファーに腰掛け、ゆっくり話はじめた。

……ここから、事件は「第二幕」へと突入します。


第二幕『タマム・シュッド事件』

沈黙を破る指先:ミリ単位の隠しポケット

一度、事件を振り返ってみよう。

捜査が完全な膠着状態に陥り、警察はさらに深い調査をアデレード大学の病理学教授のジョン・バートン・クレランド博士に調査を依頼した。博士は、ズボンの腰回りに隠された、あまりにも巧妙な仕掛けを暴き出したのである。

この「隠しポケット」が発見されたのは、遺体が発見されてから約4ヶ月が経過した1949年4月19日のことだった。

驚くべきことに、ポケットの裏地を補修していた糸が、茶色のスーツケースに入っていたオレンジ色の亜麻糸と全く同一のものであることが顕微鏡鑑定によって証明された。その亜麻糸は、当時オーストラリアでは入手困難だったイギリス製の「バーバー社製のワックス加工された強靭な糸」であった。この一致は、荷物の所有者と遺体が同一人物であることを示す決定的な物理的リンクである。

隠しポケットから、取り出され、ピンセットで慎重に広げられたその紙片には、言葉が印字されていた。

「Tamam Shud」(タマム・シュッド)

特徴的な装飾文字で印字され、紙は非常に薄く、良質な紙が使われていた。重要なのは、これが「メモ書き」ではなく、この紙片は、わざわざ文字の周囲を丁寧に切り抜いたものであることが見て取れた。

紙片の裏側には何も書かれておらず、本の一番最後のページに、しるされた言葉だった。

終焉の言霊:切り取られた最後の一節

この言葉は古典ペルシャ語で「終わった」「済んだ」「完結した」という意味であることが判明した。

これは、オマル・ハイヤームの詩集である『ルバイヤート』の最後の一節に必ず記される定型句であった。

皆さん、思い出してもらえただろうか?

一体、これは何を示しているか?そのことを考えてみましょう。

仕立てられた秘密:密着するスパイの鎧

考察1:隠しポケット

死んだカール・ウェブが履いていたので、直接的には彼の所有物に見えます。勿論、ズボンの所有者は「S氏」である。

問題は、このズボンが何を意味しているかである。つまり、普通のズボンではなく、巧妙に隠しポケットが作られていたのである。

隠しポケットを作る理由は、普通に生活していたらヘソクリを隠すくらいしか用途はない。だが、中に入って居たのは、暗号めいた紙切れである。自分に一番密着している衣服に隠しポケットを作るのは、誰かに盗まれない用心の表れである。

そして、誰にも知られたくない秘密でもある。「S氏」がこのような仕立てのズボンを履いていたということは、彼が何らかの大きな秘密を隠していたことに他ならない。1948年という時代背景、オーストラリアという特殊性から見て、「S氏」が何らかの、スパイ工作をしていたことの証明でもある。工作員や連絡員との接触はあったと推察される。私達は、すでにこの工作が東側であることを知っているので、ここからはMGBの関与で話を進める。

S氏は長距離兵器研究所から機密情報を、この工作員か連絡員に渡していたと考えられる。彼が施設から出て機密情報を渡すより、研究所内で彼に近づき渡してもらうほうが隠匿性が高い。この場合、一番簡単なのは、研究所の職員だ。東側への協力者が研究所に居たとしたら、それほど難しくはない。S氏は、軍用飛行機で研究所に来たくらいの重要人物だから、外出も控えただろう。接触する人間は一般の職員、たとえば事務員やタイピストなど、機密情報にアクセスできない人間なら、自宅から通勤していだろうから、持ち出すことは容易だったと考えられる。

考察2:経歴

S氏は、弾道学および流体力学のスペシャリストであり、非常に優秀なエリートである。彼は、1948年初頭、長距離兵器研究所に派遣されるまで、英国ファーンバラの王立航空研究所(RAE)の研究員だった。間違いなくイギリスで高度な教育を受けた人間だ。ファーンバラの王立航空研究所に所属し、弾道学および流体力学のスペシャリストとして活動していた人物であれば、その学問的背景や当時の英国の社会的構造から、ケンブリッジ大学の出身である可能性が極めて高いと推理される。

当時の弾道学や流体力学は、物理学の中でも高度な数学的処理を必要とする分野であった。ケンブリッジ大学には「マセマティカル・トライポス」という世界最高峰の数学試験の伝統があり、そこから輩出される「ラングラー(優等卒業生)」たちが、英国の軍事・科学技術の中枢を担っていた。王立航空研究所の重鎮たちの多くがケンブリッジ出身だった。

例えば、流体力学の権威であり王立航空研究所で活躍したヘルマン・グラウアートなどもケンブリッジの出身である。中でも数学や自然科学に強いトリニティ・カレッジ、あるいは数学の伝統が深いセント・ジョンズ・カレッジなどの出身である可能性が考えられる。

S氏がケンブリッジ大学(特にトリニティ・カレッジなどの理系名門)で学び、その卓越した数理能力を王立航空研究所という国家の心臓部で発揮していたと推理するのは、当時の歴史的状況に照らして非常に整合性が高いと言える。

考察3:動機

1951年、ヴェノナ・プロジェクトは、ソ連の諜報機関が本国と在外公館との間でやり取りしていた数千通の暗号電信を傍受・解読した。この解読作業によって、第二次世界大戦中から冷戦初期にかけて、西側諸国の心臓部に深く根を張っていたソ連のスパイ網が白日の下に晒された。

特に衝撃的だったのは、解読された電信の中に、英国政府の最重要機関MI6(秘密情報部)、MI5(保安局)、外務省、さらには核開発プロジェクトである「チューブ・アロイズ(マンハッタン計画の英国版)」に潜入している「協力者」たちのコードネームが溢れていたことだった。それらのコードネームを実名へと結びつけていく過程で、捜査官たちはある戦慄すべき共通点に気づいた。彼らの多くが、英国の未来を担うはずのケンブリッジ大学やオックスフォード大学の出身者だったからだ。

ヴェノナ・プロジェクトによってその全容が解明された最も有名なグループが、「ケンブリッジ・ファイヴ(Cambridge Five)」である。彼らは1930年代のケンブリッジ大学トリニティ・カレッジなどで学び、在学中からソ連の工作員にリクルートされていた。

アメリカの国家安全保障局/中央保安局が公開したヴェノナ通信の翻訳メッセージ

ケンブリッジ・ファイヴは、第二次世界大戦から冷戦初期にかけて、イギリスの諜報機関や政府の中枢に深く潜入していたソ連のスパイ網を指す。彼らはイギリスの名門ケンブリッジ大学の出身者であり、エリート階級(エスタブリッシュメント)の特権を利用して、西側諸国の最高機密を長年にわたってモスクワへと流し続けた。

その活動はイギリスの情報界に壊滅的な打撃を与え、米英間の不信感を深めるなど、戦後史に甚大な影響を及ぼした。

ケンブリッジ・ファイヴが形成されたのは、1930年代のケンブリッジ大学である。当時の世界は、世界恐慌による資本主義の混迷と、ナチス・ドイツを筆頭とするファシズムの台頭という二大危機に直面していた。

ケンブリッジのエリート学生たちの間では、既存の体制に対する強い失望が広がっており、ファシズムに対する唯一の対抗軸としてマルクス主義や共産主義が、知的かつ道徳的な魅力を放っていた。彼らは、祖国を裏切るという認識よりもむしろ、「人類の理想と平和を守るための崇高な使命」として、ソ連の協力者になる道を選んだのである。S氏の大学生時代に学んだトリニティ・カレッジは、ケンブリッジ・ファイヴの巣窟である。この伝統に感化され、彼の思想が作られた可能性は大きい。

考察4:紙片

ズボンから見つかった「タラム・シュッド」は、何のために隠し持っていたのか?

S氏はスパイですから、仲間との合言葉やスパイ同志の身分証として所持していたと考えられる。普段、一般人を装っているので、誰がスパイかわからない。でも、何かでスパイの身分を証明するときが来たら、その身分証を表示すればよい。この「タラム・シュッド」は身分証として非常に優秀である。

S氏が東側の工作員とコンタクトを取ろうとした時、人相が分かっていないとする。スパイの名簿があれば顔写真もわかるが、そんな危険なリストは無かったはずだ。しかも、1948年にはFAXも発明されていないので、人相だけでは本人の確認は困難であった。そのときに、秘密の割符を持っていれば、確実に本人確認が出来るはずだ。一方に本から切り抜いた紙片、もう一方はその本を持っている。そして、その紙片と本の切り口が合えば、間違いなく相手のことを本人だと確認できるのだ。

S氏にとっての身分証である。それはMGBのどこかに大切に保管されていたはずである。MGBにとっても、スパイかスパイでないかを判断するために必要だ。そのような重要な道具を、どこかの車に投げ入れることは絶対にないのである。

届けられた証拠

絶対にないことが、おきた場合、それはどんな時だろうか?

絶対にないのだから、ないのである。つまり、起きなかったのである。

この単純な事は重要な事であります。それでは、事件の展開を見てみましょう。

ズボンの隠しポケットから引きずり出されたのは、小さく、そして固く丸められた一片の紙切れであった。

広げられたその紙片には、「Tamam Shud」(タマム・シュッド)という文字が印刷されていた。重要なのは、これが「メモ書き」ではなく、この紙片は、わざわざ文字の周囲を丁寧に切り抜いたものであった。

遺体発見から約7ヶ月後の1949年7月、警察は南オーストラリア州全土に対して、この「タマム・シュッド」が切り取られた『ルバイヤート』を持っていないか」と地元の新聞紙に呼びかけを行った。新聞には、切り取られた紙片の特徴的な書体や、それが本の最後の一節であることが詳細に記された。この記事を読んだロナルド・フランシス氏(仮名)は、1949年7月22日、その本をアデレード警察署に届けた。

1948年11月30日の夜、フランシス氏は、アデレードのソマートン・ビーチに近いジェッティ・ロードに自分の車を停めていた。車を施錠せずに数時間ほど離れた彼が車に戻ったとき、後部座席の床に、一冊の小さな本が落ちていることに気づいた。

彼は「誰かが間違えて投げ込んだのか、あるいは以前からそこにあったのを忘れていたのだろう」程度にしか考えず、ダッシュボードの小物入れに放り込み、そのまま数ヶ月間、その存在を忘れて過ごした。

警察の記録では、彼のプライバシーを守るために本名は伏せられ続けた。当時のオーストラリアは冷戦のただ中にあり、この事件にスパイの影が疑われ始めたため、フランシス氏は「報復」や「不必要な世間の注目」を極端に恐れた。彼はごく普通のビジネスマンであり、自分や家族がこのような奇怪な事件に巻き込まれることを強く拒んだ結果であった。

疑問1:なぜ「ルバイヤート」とわかったのか?

フランシス氏は、発見した時のことを「他人が間違えて投げ込んだ本か、そこに置き忘れた本」程度にしか考えず、ダッシュボードの小物入れに放り込み、そのまま数ヶ月間、その存在を忘れて過ごしたと言ってる。それでは、なぜ「ルバイヤート」とわかったのか?

自分の友人が本を後部座席に忘れたとしても、本の題名を見ることは少ない。ましてや、知らない人物が投げ込んだ本である。彼も証言しているが、ダッシュボードの小物入れに放り込み、そのまま数ヶ月間、その存在を忘れて過ごしたと言っている。「ルバイヤート」は地味な詩集である。題名は、よくよく見ないと分からないだろう。写真で詩集の外観が載っていたとしても、この「ルバイヤート」はオーストラリアでは入手困難な出版物だったので、同じ装丁の本の写真ではなかったはずだ。

なのにフランシス氏は、記事の特徴だけを読んで、ダッシュボードに放り込んでいたあの本のことを思い出したのである。記事の内容から、車に投げ込まれた本を連想するには、飛躍しすぎている。

記事だけで、4ヶ月前の忘れた本を思い出せる人数は、5人に1人としておく。

疑問2:なぜ捨てなかったのか?

夜間、自分の車の後部座席に気味の悪い本が投げ込まれたとします。あなたなら、大事に保管しますか?それとも捨てますか?

この問いで、保管すると答えた人間の数は少ないはずである。私も捨てるだろう。

保管する人数は常識的に考えて、7人に1人としておこう。

疑問3:なぜ届けたのか?

私なら、届けない

そのような、危険に巻き込まれる可能性がある本が手元にあったら、警察に届けるよりも、こっそり処分するだろう。何かの事件に巻き込まれ、家族に危険が迫ることもあり得るからだ」私に比べるとフランシス氏はとても勇敢である。彼は自分や家族がこのような奇怪な事件に巻き込まれることも厭わず本を届けたのである。

彼はごく普通のビジネスマンだったらしい。家族もあって、普通のビジネスマンがどれだけの割合で警察に届けるだろうか?

届けないときのリスクはゼロである。届けたときのリスクは1から無限大の未知数である。そのような賭けにでる、普通の人間がいるだろうか?正義のためなら、家族を犠牲に出来る人間は居るだろうが、ほとんど居ない。

その証拠に、切り抜きがないルバイヤートが届けられたという記録は見当たらない。家にルバイヤートがあって、警察に届けた人間が1人も居ないのだ。届けるのは、大目に見ても、10人に1人くらいである。フランシス氏は何人中の1人だったか計算すると、5人に1人、その中の7人に1人、その中の10人に1人の割合なので、計算すると350人に1人となる。0.29%、これは1,000人の中でわずか 2〜3人 程度しか該当しない、非常に稀な人物なのだ。

仮にMGB(ソビエト連邦国家保安省)が、さいの隠しポケットから紙片が発見されて、割符のルバイヤートを普通の市民に警察に届けてもらうつもりで、車の後部座席に投げ込んだとしたら、その願いが叶う確率は0.29%。多くても3%が関の山であろう。アメリカのガムまで計算して仕込んだMGBが、0.29%の賭けに出ると考えるのはナンセンスだ。たとえ、50%でも、MGBは実行しないだろう。

では、どうやってフランシス氏はルバイヤートを持っていたのか?」「それは、MGBの保管場所から持ってきたとしか考えられない。

フランシス氏はMGBのエージェントである。そもそも、割符のルバイヤートは、MGBにとって大事な道具である。知らない市民の車に投げ込む理由はみつからない。処分するなら、施設の中の焼却炉に投げ込むだけである。それをわざわざ、表に出す必要はないのだ。

「表に出たということは、そこにどんな意味があったでしょうか?」

意味1:暗号

フランシス氏が届けたルバイヤートは、「タルム・シェッド」の紙片とピッタリと符合した。これは、警察が丹念に調べたので、間違いないだろう。そして、そこに暗号も書かれていた。この暗号は、何を伝える目的があったのだろうか?暗号とは、伝言である。それが、特定の人物にしか分からないように加工されている伝言なのである。このルバイヤートの暗号も誰かに伝えるメッセージなのだ。それでは、誰に送ったメッセージだろうか?MGBのエージェントのフランシス氏が警察に持ってきたわけだから、単純に考えたら、警察にである。もともと、MGBの保管庫にあったわけだから、暗号は書かれていないはずだ。

なぜなら、割符としての道具に、誰かに伝えるメーセージを書いても、意味が無いからだ。フランシス氏がMGBの保管庫に取りに行ってるわけだから、その時点で警察に向けて書かれたメッセージと推察出来る。では、MGBは警察になにを伝えたかったのだろう。せっかく、メッセージを伝えるなら、暗号にする必要はない。なのに、海軍でも解読できないほどの暗号にしている。読めなければ意味がないのに……

お気づきだろうか?

そうです。この暗号は、なにもメッセージが書かれていない暗号なのです。

では、メッセージのない暗号の役割はなんでしょう?

それは捜査の撹乱である。意味のない暗号ほど、解読に難しいものはない。いくら解読しても、めちゃくちゃな文章しか生成されないからだ。それがMGBの目的だとすると、ここに書かれたアルファベットの羅列は、暗号を装ったアクセサリーだったのだ。そして、このアクセサリーは、ただの割符の道具を、スパイの伝言に使う道具へと昇華させる役目をしたのである。薄い鉛筆で、見えるか見えないように細工して、さも、意味ありげに訂正までしている。それは、その直下に書かれた、電話番号の信憑性を高めるための演出だった。

意味2:二つの電話番号

暗号のすぐ下に、二つの電話番号が書かれていた。暗号と同じくらい薄く書かれていた。一つは看護師のジェシカにつながる電話番号で、もう一つは、関係のない電話番号だった。なぜ、二つ書かれていたのか?なぜ、ジェシカの電話番号だけではいけないのか?それは、ジェシカの電話番号だけだと、警察を明らかに誘導していると思われるのを恐れたからだ。誰でも出来すぎた話には裏があると疑うはずだ。

それが、複数あれば、誘導されたとは思わない。MGBとしては、一つより二つ用意したほうが、疑われる確率が低いと計算したのだろう。

この電話番号は、MGBが書いたものである。暗号は複雑なのに、電話番号は一言一句間違わずに書かれていた。当然、警察がジェシカを見付けやすいようにだ。

「では、なぜジェシカの電話番号を書いて警察に知らせる必要があったのだろうか?」

「MGBはわざわざジェシカの電話番号を添えて、証拠となるルバイヤートを警察に届けたのだろうか?」

「このソマートン・マン事件の最後の謎の解明になります。それでは、一緒に考えてみましょう。」

最後の謎:MGBはなぜジェシカの電話番号を警察にしらせたか?

それは、サマートン・マンの遺体が発見される5ヶ月前に遡る。1948年6月28日、ルーマニアのブカレストで開催されたコミンフォルム(共産党情報局)の会合において、ユーゴスラビアとソ連の決裂が宣言された。

このユーゴスラビアは、スターリンにとって、単に衛星国の裏切りに留まらなかった。スターリンは、陣営内のあらゆる箇所に「第二のチトー」が潜んでいると疑いはじめた。顔では従っていても、腹の中では離反を考えているかもしれないという、疑心暗鬼に囚われたのであった。スターリンはチトー主義者(裏切り者)を見つけ出すための大規模な大粛清(パラノイア的なスパイ狩り)を始めた。

チトーの離反によって引き起こされた、恐ろしい「魔女狩り」は、単なる政治的粛清ではない。それは、現場のスパイたちにとって、「失敗」が即「死(あるいはそれ以上の屈辱)」を意味する、極限のサバイバルゲームへの強制参加を意味していた。

工作員たちが受けた凄まじいプレッシャー「失敗」の定義が「裏切り」へ

ユーゴスラビア決裂以前のソ連の情報機関において、任務の失敗は「能力不足」として叱責や降格の対象で済んだ。しかし、1948年以降、「失敗」は「故意による利敵行為(チトー主義)」と同一視されるようになった。任務の失敗は、「組織を内部から腐らせるチトーの回し者」として、モスクワで公開裁判にかけられる運命に変質した。

工作員は、「任務を完遂するか、自らも死体になるか」という、逃げ場のない二択を迫られていた。チトー主義者の摘発は、本人だけでなく、その上司、部下、さらには「過去に一度でも接触した者」すべてに及んだ。アデレードにいたMGB(ソビエト連邦国家保安省)の工作員たちは、互いを監視し合うようになった。この「二重、三重の監視」は、一挙手一投足を誰かに見られている緊張状態に置かれた。

誰かがミスをすれば、チーム全員がシベリア送りになる。この「連座の恐怖」が、現場に正常な判断力を奪い、過剰なまでの隠蔽工作(ラベルの抹消や身代わりの配置)を強いた心理的背景になっている。彼らは「西側の警察」よりも、「身内の監視官」を恐れていた。

「絶対的忠誠」の証明としての過激化

スターリンは、沈黙は「疑わしい」と見なしていた。工作員たちが自分の忠誠を証明するためには、上層部が期待する以上の「冷酷な成果」を上げ、かつ「敵(西側)に対する徹底的な攪乱」を見せつける必要があった。「アメリカ製のガムを持たせる」「イギリスの銘柄の箱にアメリカのタバコを入れる」という工作は、まさにこの心理の産物なのだ。

「見てください、同志スターリン。我々は単にS氏をさらっただけでなく、同時にアメリカとイギリスの仲を切り裂く毒を仕込んできました」このような「プラスアルファの功績」を報告できなければ、自分の忠誠を証明できないという強迫観念が、あの不自然なほど装飾された遺留品を生んだと言える。

時間という名の処刑人

チトーの離反以降、スターリンは「スピード」を異常に重視した。一刻でも止めなければ、ダムが決壊するように陣営が崩壊するという恐怖に駆られていたのだ。S氏を連行し、カール・ウェブを配置し、物証を「演出」する。これらすべての工程を、MI5(イギリス諜報機関:保安局)やASIO(豪州)が気づく前の、わずかな「空白の時間」に完了させねばならなかった。「工作員のパニック」は、「失敗すれば命が無い」「200%の成果」「スターリンからの催促」に追い詰められた者たちの焦燥だった。アデレードの工作員たちは、もはやスパイではなく、『死刑を宣告された囚人』であった。

タマム・シェッド(終わった)

S氏の隠しポケットの事をMGBはなぜしらなかったのか?それは、大きな組織でよくある意思の疎通による情報の欠落が発生していたと考えられる。会社でも、部署が違ったり、役職が違うと、知っている情報がまるで違う。MGBでも同じで、他の部署が当然だと思っている事が、他部署では知らないこともあるのだ。S氏の誘拐を担当した部署は、現地のエージェントの管理してる部署とは、違っていたと推察する。エージェントの管理してる部署が、S氏に「タマム・シェッド」の身分証を渡したからだ。

その割符の「ルバイヤート」は、MGBに大事に保管されていたからだ。もし、管理していた部署が、S氏の誘拐をしていたら、隠しポケットは、服のタグを切除したときに、忘れずに処分したからである。隠しポケットを知らなかった部署が、実行部隊とみて間違いないだろう。S氏誘拐の事前の会議で、管理部署は実行部隊が当然知ってる事だと思って、伝えていなかった。この些細な錯覚が、小さな見落としに繋がった。

1949年4月19日、博士はズボンのポケットから「タマム・シェッド」の紙片を見つけた。この知らせはMGBの工作員にとって、まさしく「タマム・シェッド(終わった)」に等しかった。1949年7月、警察は南オーストラリア州全土に対して、この「タマム・シュッド」が切り取られた『ルバイヤート』を持っていないか」と地元の新聞紙に異例の呼びかけを行った。この記事を読んだ一般人が、「隠しポケット」に「暗号めいた紙切れ」という事から連想するのは「スパイ」である。サマートン・ビーチで死んだ男はスパイだったと皆が思うだろう。

それは、現地のソ連のスパイ網に大打撃を与えかねないし、地元のスパイにとってもやりにくくなる。もし、そのことにスターリンが怒り、全員「チトー主義」の烙印を押されたら、良くて強制収容所での労働である。トップは、粛清されるだろう。1949年8月にソ連は核実験に成功するが、この時点でまだである。緊張が最高潮に達した時期である。この時に時限爆弾が爆発した。もう、一秒の猶予もない。スターリンが激怒して、モスクワから全員の召喚状が届いたら、全ては終わりである。緊急の会議が開かれ、「タラム・シュッド」の揉み消し工作が立案され、実行されたのだった。

この会議で最も議論されたのは、この紙切れを証明書ではなく、他の何かに変えてリアリティを持たせることだ。警察も盲目ではない。しっかりとした筋書きでないと疑われる。MGBの関与を疑われたら、自分たちは間違いなく処刑されるだろう。そこで、この紙片を、ラブレターとしてすり替えることにした。男が不倫の相手との連絡のための紙片とした。妻にバレないように隠しポケットを作ったなら、一応筋書きになる。そして、女の電話番号を書いた。

重要参考人:ジェシカ・トンプソン

女の条件1:美人

男が不倫したくなるくらいの美人であること。もし捜査員から見て魅力が少ない女性だと、リアリティが減ってしまう。ジェシカは27歳で、若く美しい女性だった。カール・ウェブの不倫相手として年齢も釣り合っている。

女の条件2:既婚者もしくは男と同居中

隠しポケットを作って、ラブレターを持ち歩くのは、妻にバレないという事と、浮気相手の女性に夫もしくは同居している男が居たほうが、秘密の重みがちがう。よりリアルである。ジェシカは当時、男性と同居していた。浮気同士なので、秘密の保持は自然に映る。

女の条件3:ソマートン・ビーチの近くに住んでいること

ソマートン・ビーチから遠いよりも近いほうが、カール・ウェブがビーチで死んだことの説明になるからだ。

女の条件4:事件とMGBに関わりがない

MGB(ソビエト連邦国家保安省)のエージェントや連絡員だと捜査官の厳しい尋問で、しゃべる可能性がある。事件にもMGBにも、まったく関係のない一般女性なら、どんなに叩いてもホコリはでないからだ。ジェシカが天寿を全うできたのは、知らなかったという証明でもある。

むしろ、無関係な人間ほど完璧な演者になる

この作戦の失敗は許されない。MGBの中でも、一流のエージェントが選ばれた。それが、フランシス氏である。彼に、組織全員の命運がかかっている。1949年7月22日、フランシス氏は暗号とジェシカの電話番号を記入された「ルバイヤート」を警察にとどけた。車に後部座席に放り込まれたという作り話をした。警察は、フランシス氏の言葉を信じた。暗号とジェシカの電話番号を発見し、彼女に連絡をとった。ジェシカにしてみたら、驚いたことだろう。

7月26日、ジェシカは警察に、ソマートン・マンの顔から型取った「石膏マスク」をみせられた。その瞬間、恐怖と驚きで目の前が真っ暗になった。「知らない」というのが精一杯だった。石膏はもう二度と見たくなかった。普通の女性なら普通の反応である。むしろ、落ち着いて石膏をじっと見つめたほうが不自然である。悲鳴をあげる女性がいても不思議ではない。警察は、先入観をもってジェシカを観察していたので、彼女のショックを意味有りげに捉えたのだろう。

砂浜に遺された、二つの絶望

皆さん、これが私の提示する『真実』の全貌です。

私は、最後の一片をパズルにはめ込み、静かに立ち上がった。窓の外では、かつてS氏が消えたあのアデレードの海が、月光に照らされて冷たく光っている。ソマートン・マン事件とは、二人の男の人生が、巨大なイデオロギーの歯車によって粉砕された物語であった。

一人は、「S氏」という名の天才。彼は英国の技術的プライドを背負いながら、自由を求めて研究所を退職した。しかし、その「自由への渇望」こそが、スターリンの恐怖政治に追い詰められたMGB(ソビエト連邦国家保安省)にとっての絶好の獲物となった。彼はアデレードの喧騒の中で静かに消され、冷戦の勝敗を分かつ「生きた頭脳」として北の空へとさらわれたのである。1949年以降のソ連ロケット技術の不自然な飛躍——それは、彼が東側の暗い研究所で図面を引き続けたという、何より残酷な署名であった。

もう一人は、カール・ウェブという名の器。彼は愛する妻を追ってアデレードへやってきた、孤独で執着心の強い、どこにでもいる一般人であった。しかし、その「誰も探さない」「失踪の理由がある」という空虚な属性が、MGBという怪物に「身代わり」として選ばれる不幸を招いた。彼はMGBに飼育され、最期はS氏の服を着せられ、見せる死体としてビーチに配置された。彼の穏やかな死に顔は、自ら選んだ安らぎではなく、国家の都合によって投与された麻酔と毒薬が作り出した、精巧な偽造であった。

「タマム・シュッド」が暴いたもの

そして、この事件を永遠の迷宮へと変えたのは、MGBが犯した「あまりにも小さな、しかし致命的な見落とし」であった。

隠しポケットの中に遺された「タマム・シュッド」の断片。それは、S氏が自らの身分を証明するために隠し持っていた「割符」であった。これが見つかった瞬間、MGBの完璧なシナリオは崩壊の危機に直面した。

第二幕で私たちが目撃したのは、自分たちのミスを隠蔽するために、無関係な一般女性ジェシカ・トンプソンを「不倫の相手」に仕立て上げ、暗号を装った落書きを施したルバイヤートを警察に「届けさせた」組織の足掻きであった。ジェシカが石膏マスクを見て気絶せんばかりに動揺したのは、かつての愛しい人の死を悲しんだからではない。自分の平穏な人生が、国家という名の冷徹な巨獣によって「工作の小道具」にされたことへの、根源的な恐怖だったのである。

歴史という名の「影の海」

「カール・ウェブは確かにそこにいました。しかし、彼が纏っていたのはS氏の野心であり、アメリカのガムであり、英国の絶望であった。」

2022年のDNA鑑定は、この事件の「名前」を教えてくれた。しかし、その「意味」を解き明かすのは、科学ではなく、私たちが歴史の中に積み上げた論理の力である。

アデレードの砂浜に打ち捨てられた一枚の紙片。そこに記された「終わった(タマム・シュッド)」という言葉。それは、一人の男の死の終わりではなく、西側諸国の技術的優位が終焉し、終わりのない冷戦という闇の時代が幕を開けたことを告げる、歴史からの不気味なメッセージだった。ソマートン・マン事件は、冷戦という広大な「影の海」から打ち上げられた、たった一つの、しかし最も美しい謎の残骸だったのかもしれません。

さあ、夜も更けました。この事件は、私の心の中でも、ようやく『タマム・シュッド』——完結を迎えたようです。

私はパイプの灰を落とし、静かに部屋の灯りを消した。

「真実は影の海の中に」

読者の皆さんと共に歩んできたこの旅は、アデレードの砂浜からモスクワの暗い空へと至る、一つの壮大な仮説の物語でした。筆者がここで提示したのは、歴史の空白を埋めるために「論理的整合性」という糸で紡ぎ上げた、一つの可能性に過ぎません。組織のパニック、上書きされた証拠、さらわれた頭脳……。これらは、散らばった点と点を結びつけた際に浮かび上がった、最もドラマチックで、かつ合理的な「絵」であったと自負しております。

しかし、歴史とは常に多面的なものです。この試みが、過ぎ去りし冷戦時代の空気を伝え、未解決事件という名の迷宮を愛する方々にとって、新たな思考の種となることを願ってやみません。この論理の迷宮が真実の扉を開くのか、それとも新たな霧を生むのか。その判断は、賢明なる読者の皆さんに委ねたいと思います。

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